磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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講談社文庫 夏の花・鎮魂歌

2008年11月20日 | 読書日記など
『講談社文庫 夏の花・鎮魂歌』
   原民喜・著/講談社1973年

なるほどと思ったこともあった……。
--原民喜論というのは、どれもボクにはしっくりこない……。



■目 次■
夏の花  7
 壊滅の序曲  9
 夏の花  53
 廃墟から  73
鎮魂歌  95
美しい死の岸に  141
 苦しく美しき夏  143
 秋日記  155
 冬日記  170
 美しい死の岸に  183
 死の中の風景  198
 心願の国  213
◆解説 藤島宇内  223
◆年譜  238


実際のいい方はぶっきらぼうだったという……。下「」引用。

「一体どういうつもりだったのだろうか。ある日、原さんは「書きたいものだけ書き上げたら早くあの世に行きたい」と私にいったのだ。(実際のいい方は、「書くことがなくなったら死ぬよ」というぶっきらぼうないい方で、東京神田の九段下に近いうら通りの丸岡明さんの能楽書林の建物の中の一階の、原さんがかりていた部屋ではそういったのだが。いまでも、ロイド眼鏡のむこうに妙に大きく眼をみひらいてそういった原さんの顔が思い出される)。当時は学生で、原さんの「年少の友」の一人であった私はその言葉をまともに受けとって、たまたま奥野信太郎さんに伝えたのだ。
 奥野さんは当時、慶応大学の教授で中国文学・中国語を教えており、その二年ほど前に、私「三田文学」の編集をしていた原さんに紹介したのである。-略-」

ずいぶん印象がかわりますが、ボクはなるほどと思いました。
--原民喜は実に男らしいとボクは読んでいてよく思います。
しかし、彼には美学があり、やさしさがある……。

ここに死生観の違いがあろうとも思う……。下「」引用。

「ふつうの人間は、死にこの上ない価値をみとめ、死に心のやすらぎを求めつつ生きるなどという生き方はできない。だが、原さんはそのような生き方をした希有の人であった。だから、いかにその「私」を丹念に表現しても、そこには「私」がないのだ。-略-」

どうも死というのも、人それぞれ思うことが違うようで、子ども染みた人もいる……。

遠藤周作はこの分野でも、おもしろいものを書き残した。

死生観であって、死だけでは、そもそも存在しないもので……。

死などは実際はわからないというのが科学的なものだろう。

科学的にいえば、生きていない状態にすぎない……。

医学では命を救うなどはできず、死なないようにするだけ……。

--そういう学者たちも、けっこういる……。

しかし、人間には科学だけではなく、文学も宗教もある……。

死だけで成立させてしまう死生観は刹那主義だろうなあ……。

死んだらおしまい……。ただ、それだけなら……。

生きた跡すらない死生観……。

原民喜はそんな死生観ではないだろう……。





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