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証言七三一石井部隊-今、初めて明かす女子隊員の記録-

2009年08月28日 | 読書日記など
『証言七三一石井部隊-今、初めて明かす女子隊員の記録-』
   郡司陽子・著/徳間書店1982年

被害者を同じ人間と思えないかぎり、本当の反省などは生まれないようだ……。
--「戦争は究極の差別」、人間を「丸太」や「頭の黒いネズミ」と呼ぶことが当たり前な人に反省などはないだろう……。



石井家との縁があったという。下「」引用。

「わたしは、自分の生い立ちのことを考えてみる。わたしの生まれ育った土地、一緒にいた兄弟、縁者、隣人のほとんどが、「石井家」とのなんらかの縁によって蔓のようにからめられ、ハルピン郊外の平房にあった関東軍第七三一部隊(石井部隊、正式には関東軍防疫給水本部)に繋がっているからだ。」

加茂の名門、石井家。下「」引用。

「わたしの生家のある多古から、現在の国道296号線を西の芝山町の方へ五、六キロたどると、やや上り勾配になったあたりに、加茂のバス停留所がある。このあたり一帯が、千代田村加茂である。その先を北へ下って行くと、やがて左手に草ぼうぼうの空地が見えてくる。
 ここが、関東軍第七三一部隊長石井四郎、そして特別班「丸太」担当の石井剛男、特別班動物舎担当の石井三男の兄弟を生んだ石井家の屋敷跡である。最近まで三男さんの未亡人だけが、近所にひっそりと住んでいたが、昨年亡くなったと聞いた。
 石井家は、この土地の古くからの地主だった。-略-」

京都の加茂とは関係なさそうです……。

郷土の誇り石井四郎。下「」引用。

「石井家には、四男一女があった。眼医者に嫁いだ娘さんを除いて、息子さんたちは、みんなお国のために働いている偉い人だということだった。なかでも四男の四郎さんは、京都帝大の医学部を一番で卒業した秀才だとの評判だった。外国へも勉強にいき、世界的に有名な軍医で、郷土の誇りとたたえられていた。」

「加茂部隊」とも呼ばれていた七三一部隊。

本土に帰り、三研へ。下「」引用。

「陸軍軍医学校『三研(防疫研究室)』を受験せよ」と、石井四郎から通知がきたという。
研究室でマウスと遊んでいると、女医さんがびっくりして「消毒しましょうね」といったという。マウスで結核菌、赤痢や疫痢のワクチンをつくっていたという。
研究室は規模は小さいが七三一部隊と同じことをしていた。」

国が守っていたという……。下「」引用。

「その頃、この地方でも、「戦犯」追及が始まっていた。占領軍だけでなく、共産党も「戦犯」を探しているとのことだった。多古の近くでは、田んぼに出ている人を、アメリカ軍のMPがきて、「捕虜虐待」のかどで、ひきずりあげて連れていくという事件があったほどだ。
 だが、「石井家は、国が守ってくれるから安心だ」という噂が流れていた。」

「新宿若松町の石井部隊長の自宅に「潜伏」する」
石井家では階段の裏で猿を飼っていたという。

「自宅での石井部隊長とマッカーサー司令部の秘密交渉」下「」引用。

「-略-隊長も英語で答えていた。それは訊問というより事情聴取といった雰囲気に思われる。
 七、八回目を最後に、アメリカ兵は、ぱったりと来なくなった。わたしたちは、「終わったな」と思った。隊長もホッとした様子だった。」

テレビ番組があったという。下「」引用。

「つい先日、テレビで七三一関係の番組があった。そのなかで、吉村軍医や高橋軍医たちが一九名の元七三一幹部が、アメリカ軍の司令部に、部隊関係の試料を渡し、協力することで、戦犯容疑をまぬがれたと説明されていた。-略-」








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