磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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前衛 1974年8月号 日本共産党中央委員会理論政治誌

2008年04月28日 | 読書日記など
『前衛 1974年8月号 日本共産党中央委員会理論政治誌』
   日本共産党中央委員会出版局1974年

これで理論政治誌なのか? とよくわかりませんでした。党員でもないから、そんなに理解できるわけがないとも思いました。平和を願うことが、どこかの政党の理論だけに限るなんて、それこそ、ローマの平和だと思います。身勝手な論理を展開されているとしかボクには思えません。



原爆二世のモノクロの写真。
差別について訴えている記事がある……。

広島原爆養護ホームでの天井からつり下げられたリフト浴の風呂場の写真があった。
--現代では、このような写真もプライバシーが尊重されるので、簡単には撮れませんね。

「原水爆運動二十年を迎えて-核兵器全面禁止の国際協定締結は急務-」金子満広・著が掲載されていました。

「核兵器をなくすまで」東京 山口勇子(児童文学者)・著がありました。

このころですでに待てないと書かれてありましたが……。下「」引用。

「「もう待てない」
 冷雨のなかを援護法制定のためにデモ行進し、厚生省言下院前に被爆者たちがすわりこみをしたのは、去年の十一月たった。すわりこんだ人びとの平均年齢は六十歳をこえていた。」

これも、原爆であっても、ケースバイケースのようです。下「」引用。

「昔のつらい思い出は、年月にさらされて甘く、美しいベールに包まれるものだというけれど、原爆に焼かれ、地にたたきつけられた記憶は、何十年を経ても新しく、あたらしきすぎていつまでもナマ傷のままのようにさえ思われる。きのうのことのような“被爆”を体と心に刻みつけたまま、被爆者は戦後二十九年間の、大波つづきのそれぞれのくらしを歩みついできたのだが、被爆直後からの十年間は、最悪の時代であった。」

逆行性健忘といって、若いころのことはよく記憶している人がいます。

うすれていく記憶と書かれている被爆者の人もおられます……。

訴訟についても書かれてありました。下「」引用。

「石田訴訟も起こされている。被爆者が自分の権利を守ろうとすれば、裁判にまでもちこまねばならぬ現実も、援護法へのきびしいたたかいのなかの一面である。」

日本の裁判制度では貧乏人は訴えることもできず、泣き寝入りシステムという人たちもいます。

被爆二世のことが書かれてありました。下「」引用。

「ほったらかしを越えて、差別の領域にまですりかえられてきた。被爆者の子どもは弱くの、すべてが白血病になるかのような、非科学的な認識がいつのまにか広がり、その一方では被爆者の子らにたいして、何一つ健康管理の手もさしのべられいない始末。」

さらに、被爆二世のこと。下「」引用。

「東京被爆二世の会も、「被爆二世として生まれてきたことを、むしろ誇りとさえ考えます。何故ならば、私たちは原爆に心から反対する条件、権利、そして使命が、生れながらに与えられているからです」と、呼びかけている。」

もくじ

多くの心ある被爆者の人たちが、リードされてきたを誰も否定することはできないとボクは思います。

そして、庶民的な人ほど、または「折鶴の会」などのように力ではなく、愛で伝えてこられた人たちの静かで感性豊かなものが、大きな力となっているとボクは思っています。

そして、力で平和をつくろうとするアメリカ。
それに対抗して、アメリカを悪とし、自らのイデオロギー集団を善とし、そして力で平和をつくろうとする勢力。

--どちらにも組みさず、平和は平和的な手段でという人たち(人間)が、意味ある行動をとってきたとボクは思っています。








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