磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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シェイクスピア劇とジェンダー・アイデンティティ

2009年06月26日 | 読書日記など
『シェイクスピア劇とジェンダー・アイデンティティ』
   伊藤洋子・著/近代文芸社2008年

シェイクスピアの時代にはたぶん、人権思想なんてなかったんだろうなあーと思う。
--今、人権思想がなかったら、民主的でも文化的でもないとボクは思う……。
古典だから、古典としてボクは読むし、観たいと思う……。
--そして、現代と比較するのはよいことだとボクは思う。



帯に書かれてありました……。下「」引用。

「古くて新しいシェイクスピア劇のジェンダー。フェミニズムの視点をまじえ、シェイクスピア劇に於けるジェンダーの諸相を読み解く。」

新しいというのは、ボクには理解できませんでした。
--あくまでも古典は古典だとボクは思います。

テーマというのも、やはり古典としてのテーマ。下「」引用。

「『タイタス・アンドロニカス』における英雄タイタス一族の苦難の物語には、君主や英雄の誤謬と堕落、征服民族と被征服民族の葛藤、人種的他者の問題、家父長社会の女性の運命、復讐の正当性、個の倫理と現実社会との相克など、のちにシェイクスピアがくりかえし描くことにる重要なテーマのほとんどが、粗削りながらすでに示されているように思われる。-略-」

復讐は正当性など現代にはない!

レイプは犯罪でしかないと凡人のボクは思うのだが……。下「」引用。

「レイプは、人種や民族間の闘争のメタファーであるばかりでなく、階級間の対立の場でもある。レイプはンを推理するとき、タイタスは「ルクレチア」の連想からサターナイナスないしローマ貴族を思い浮かべずにはいられない。次のタイタスのせりふは、当時の男性の反応の典型であろう。-略-
「ローマのどこの貴族がこんな目にあわせのだ。サターナイナスが忍び込んだのか。タークインが戦地を離れてルクレチアのベッドに近づいたように」-略-」

ボクにはわけのわからない論理が展開されている……。

しかし、それが古典の世界なのだろう……。

崇高なキリスト教的寛容……。下「」引用。

「マリアナは尼僧見習いイザベラにりさらに崇高なキリスト教的「寛容」の精神を体現していると考えられ-略-」

--現実の崇高さ。
マザー・テレザは食わせるために、献金にまわる……。

キリスト教の教会での結婚式も、昔からあったわけではないですね。下「」引用。

「ローレンス・ストーンによれば、1563年ごろからカトリック教会が司祭立会いの結婚式を奨励し、16~17世紀にかけて国教会が確立するとともに、教会での式を義務づけるようになっていくが、決して褒められたことではないにしても、本人たちの口約束による当時合法とみなされた。」

クレオパトラ、自殺が「美しい」のだろうか? 下「」引用。

「クレオパトラにとって「自殺」は、恋する女という演劇的ジェンダーを演じ通しながら、誇り高いエジプト女王としての立場を全うする唯一の選択肢であったとも言えるのである。」

これも古典の世界ではこう考えられていたとしか思えない。

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自殺などを美化するのは、現代では非難されて当然だろうとボクは思う……。









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