磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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語りつぐ戦争体験 続 1 原爆予告をきいた

2008年07月04日 | 読書日記など
『語りつぐ戦争体験 続1 原爆予告をきいた』
   日本児童文学者協会日本子どもを守る会・編/
     草土文化1983年

残酷なこと、気持ちが悪くなるほどひどいこと、そんなことまで書かれている本です。
--戦争は悲惨なものです、そんなものを美しいものにはできません。
じっと戦争を見つめてください。美しい戦争なんてありません。



従軍慰安婦はいなかったという人たちが、公的な記録にないと主張する人たちがいますね。

従軍僧侶などもいなかったと聞いていたのですが、おられたようです。下「」引用。

「横浜の常照寺(じょうしょうじ)で修業をつんでい三十歳のわたしは、日蓮宗本部宗務院が募集した従軍僧派遣(じゅうぐんそうはけん)に応募した。昭和十三(一九三八)年のことである。さまざまな調査ののち、えらばれたふたりの中にわたしがはいっていた。」

もくじ

昭和18年、中国の広州、公開処刑の場で読経してほしいと重藤隊長にいわれる。下「」引用。

「本日の処刑者は二○○名。刑場は広州郊外の一角の山すそである。処刑については、いっさい口外無用ときかされた。」

斬首のシーンも書かれています。
--読んでいて、きつかったです。

そして、人間の生きギモをとる軍医。
それを食べる副官……。

信じられない光景ですね……。

--「あの一瞬」桑島一男・著。
広島と岡山で通信していたという。下「」引用。

「そうか、それであの一瞬--八時十五分に通信がプッツリとだえたのか。そうすると、あのときの担当者は--わたしは息がつまる思いがした。」

--「広島刑務所被爆記」友原乙丸・著。下「」引用。

「広島刑務所の原爆のきずあとは、形あるものとしては、もうのこっていません。しかし、この残骸を体験した人の心の中には、わたしのような職員だけでなく、受刑者にも、戦争の証言として、目にみえぬきずがのこっているでしょう。」

--「原爆予告をきいた」宮本広三・著。
当時著者は爆心地から1.2kmの広島市内白島(はくしま)の広島逓信局(ていしんきょく)に勤務。
--「ボイス・オブ・アメリカ」で、「8月5日に、特殊爆弾で広島を攻撃するから、非戦闘員は広島からにげていなさい」と予告しているのを聞いたという。
--しかし、1日違いだったわけですね……。
もし、わかっていても、当時は知らせることはできなかっただろうという。

当時、現在のNHKは妨害電波をだして、外国の放送がきけないようにしていたという。









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