磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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広島市役所原爆誌

2008年10月22日 | 読書日記など
『広島市役所原爆誌』
   広島市役所・編/広島市役所1966年

広島市役所がこのような本を出したのは、20年後……。
--今の市役所関係者と同質のようには思えない……。
……あっ、我が市を基準にしてしまった……。



序に書かれてあります。下「」引用。

「広島市が原爆の惨禍をうけて、早くも二十年の歳月が流れました。
 その間、広島の原爆については、多くの人々によって、当時の模様が明らかにされましたが、市政の中心である市役所や市議会の原爆前夜の活動状況や市議会議員や市職員の被爆状況等を総合的に纏めたものは、ついに今日まで実現をみなかったのであります。
 今年、被爆二十周年を迎えるにあたり、広島市公務員の原爆慰霊碑を市役所前庭に建立いたしましが、それと並行して纏めたのがこの広島市役所原爆誌であります。-略-
 この書が、栗屋市長以下関係犠牲者の御霊やご遺族をお慰めする一助ともなりますよう心から願ってやみません。
   昭和四十一年三月  広島市長 浜井信三」

「はだしのゲン」などのシーンにもありますが、旋風というのもすごかったですね。東京大空襲もかなりものですが……。下「」引用。

「公会堂の池付近には数多くの職員が避難したが、そのひとり切明 通書記(当時軍事援護課所属)は、その時の状況をつぎのように述べている。
「やがて火炎は竜巻に乗って吹きすさんできた。わたしたちは池の中にもぐりこんで、竜巻に乗ってくる火炎を避けねばならなかった。そうしないと上半身裸同然の身体は、たちまちひどい火傷をうけ、死んでしまうだろう。この泥沼の中の死闘はすさまじかった。火炎を吹きつける風が去ると身体を外へ出す。風が襲来するとフロへはいったように、いや潜水のように頭までも池の中へうずめこむのである。そうしないと顔も、頭の髪も焼けただれる。それはおそしろい長い時間だった。」
 また、とうじ援護課勤務の喜多輝子は次のように述べている。-略-」

浅野図書館職員の被爆状況について1ページくらい書かれてあります(死亡2名、生存者3名)。被爆状況はわからないが、死亡者(5名)、生存者(1名)、生死不明(4名)の職員の名前が書かれてある。



--『原爆市長』でも書かれてあったことですが……。

原爆市長 ヒロシマとともに二十年

配給課の活躍。下「」引用。

「空襲を受けたとき食糧の手配をするのは配給課であった。浜井配給課長は、被爆後直ちに食糧の手配につき、安芸郡府中町の食糧倉庫からトラック二台に乾パンを満載して午後三時ごろ持ち帰った。この乾パンは、森下助役、浜井課長をはじめ市職員の手により被災者に配られた。」

軍服を配給したという。下「」引用。

「当時広島を訪れた人が、広島市民は全員復員軍人のようだと言っていたど市中に軍服を着ている人が多かったのは、その被服が市民に行き渡った証拠である。また、軍くつも一足ずつゆきわたった。」



この本とは関係ありませんが……。
靖国マニアは、今も軍服を着ていますね。
--帯刀までしている……。
警察は何も文句をいわないのだろうか?

【映画】靖国YASUKUNI

--三島由紀夫のような、人騒がせな人たちがいる……。
海外から見れば、ネオ・ナチみたいだという……。
--ふつうの神社には、このような人は存在しない。







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