『長崎のコルベ神父』
小崎登明・著/聖母の騎士社1983年
この本の著者はコルベ神父の小神学校に通われた方です。
原爆の時には辛い思い出のある方でもあります。
古い長崎新聞の記事。
昭和5年4月24日、
コルベ神父やゼノ修道士たちが、
長崎に第一歩をふみしめたことが書かれてあるという。
上陸すると、ポーランドはロシアの隣国であから、
共産主義をおそれていた刑事たちは、
きびしい取調べをしたという。
もう当時、コルベ神父は肺結核を病んでいたという。
きっと長崎の坂道はきつかったでしょう。
この本にも一燈園の人たちと、ゼノ修道士の交流がかかれてあります。
病身のコルベ神父は布教ができず、たち働くゼノ修道士は大きな功績を残したという。
コルベ神父は聖者らしくなく。手紙には「お金がない、
お金を送れ、お金がほしい」とひんぱんに書いているそうです。
コルベ神父は日本とポーランドを比較しています。下「」引用。
「日本には悪魔が一杯いると、コルベ師は面白い表現をしている。「ポーランドのニエポカラノフに一匹の悪魔がいるとすれば、こちらには十匹の悪魔がいます。」
ヨハネ・パウロ二世とコルベ神父のことなども書かれてありました。
日本にくる前は、コルベ神父もゼノ修道士もヒゲをはやしていなかったそうです。
ゼノさんは当時は赤髭だったそうです。
ヒゲをはやすようになったのは、東洋で賢者と思われるためだという。
吹き出物にコルベ神父は悩まされていたそうです。
スパイの改心が書かれてありました。
永井隆博士のことも書かれてありました。
印象に残ったのは、「病者は修道院の宝」というこです。下「」引用。
「病人はベッドの上で、神様の前に(※ママ)よく働きますね」」
と、語られていたそうです。
Index
小崎登明・著/聖母の騎士社1983年
この本の著者はコルベ神父の小神学校に通われた方です。
原爆の時には辛い思い出のある方でもあります。
古い長崎新聞の記事。
昭和5年4月24日、
コルベ神父やゼノ修道士たちが、
長崎に第一歩をふみしめたことが書かれてあるという。
上陸すると、ポーランドはロシアの隣国であから、
共産主義をおそれていた刑事たちは、
きびしい取調べをしたという。
もう当時、コルベ神父は肺結核を病んでいたという。
きっと長崎の坂道はきつかったでしょう。
この本にも一燈園の人たちと、ゼノ修道士の交流がかかれてあります。
病身のコルベ神父は布教ができず、たち働くゼノ修道士は大きな功績を残したという。
コルベ神父は聖者らしくなく。手紙には「お金がない、
お金を送れ、お金がほしい」とひんぱんに書いているそうです。
コルベ神父は日本とポーランドを比較しています。下「」引用。
「日本には悪魔が一杯いると、コルベ師は面白い表現をしている。「ポーランドのニエポカラノフに一匹の悪魔がいるとすれば、こちらには十匹の悪魔がいます。」
ヨハネ・パウロ二世とコルベ神父のことなども書かれてありました。
日本にくる前は、コルベ神父もゼノ修道士もヒゲをはやしていなかったそうです。
ゼノさんは当時は赤髭だったそうです。
ヒゲをはやすようになったのは、東洋で賢者と思われるためだという。
吹き出物にコルベ神父は悩まされていたそうです。
スパイの改心が書かれてありました。
永井隆博士のことも書かれてありました。
印象に残ったのは、「病者は修道院の宝」というこです。下「」引用。
「病人はベッドの上で、神様の前に(※ママ)よく働きますね」」
と、語られていたそうです。
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