『原爆市長 ヒロシマとともに二十年』
濱井信三・著/朝日新聞社1967年
広島市に原爆投下されたとき、広島市の職員であった著者。広島市の人に食べさせ、着せることに奔走された……。ドラマにしてもおもしろいだろうと思った。
司馬遼太郎は、国民をまず食わせろ!
と、政治家の基本中の基本とされていたように思えます。
戦争をおしすすめた政治家は、ここでも活躍していない。
その子孫の政治家も、国民の福祉など考えない人たちでもありますね。
国民を食わせること、着せること、住ませることを一番にして欲しい。
--その後に、イデオロギーなどという趣味的なものにしていただきたいと思う。
しかし、いきなりイデオロギーという趣味に走り、「ゼロサム」ゲームをしている政治家たちがいる。
--早く騙されない国民になって欲しいものです。
この政治家はそんな愚かなゲームをする人ではない。
--原爆を投下されたとき、軍にトラックを出してくれるように一発大声でどなったという。
府中町の食糧営団を目指して、トラックで行く。下「」引用。
「府中の食糧倉庫には、呉市から応援に駈けつけてくれたトラックが一台、待機していた。われわれは二台のトラックに、菰詰の乾パンを満載してとって返し、臨時防空本部が開設されているはずの職業紹介所のところまで帰って来た。」
この時の軍の偉い人のことも書かれてある。下「」引用。
「双葉山につていみて、山腹にたくさんの防空壕が口をあけているのを初めて見た。指定された壕に行ってみると、一番奥に偉いらしい軍人が大あぐらをかいていた。今後の対策について皆に意見を求める集まりであったが、結局、何はおいても市民の士気を鼓舞しなければならない。そのためには、警備司令官と地区司令官の名において、布告の貼りビラをして、市民の奮起を促すということを決めただけであった。」
国民を食わせることもできずに、戦え!
--無理なことはいわないで下さいね。
食べずに戦え! というのなら、まず、あなたがそうするべきだ!
--国民に丸投げ! 無能な人たちに耳を貸すべきではない。
生活物資に苦心されたことが書かれてあります。
ドラマ化されても、おもしろいのではないかと思う。
陸軍から軍服をもらう。
--「広島市は復員軍人だらけだ」
当時、広島市を訪れた人たちは、そういって目をみはったという。
木原市長は途中で退職すれば、退職金をもらえるが、公職追放されるまで職についていたという。
市長室吹雪、他の各課の事務室にいたっては、役所などというようなものではなかったそうだ……。
平和祭のことも書かれてあります。
キャサリン・ジョンソン女史のことも書かれてありました。
MRA世界大会のことも書かれてありました。下「」引用。
「「MRA」というのはMoral Re-Armamentの略である。訳して「道徳再武装」、--再武装といっても、これはアメリカの宣教師ブックマン博士がはじめた一つの平和運動である。」
1949年、MRAの定期大会(スイス)で、広島県選出の参議院議員・山田節男と大蔵大臣の北村徳太郎が出席。
広島市長として、楠瀬知事とともにメッセージを山田氏に託したという。
市の財政収入になることをしようと広島カープを結成。
広島城の「鯉城」をとって、「カープ」のニックネームに。
昭和25年、セリーグに加盟。西練兵場で結団式。
広島市長三選目で落選した著者。
--渡辺氏が当選、1,577票差であったという。
公約の百メートル道路をつぶして住宅にというのは守られなかったという。
そして、著者は次の選挙で市長に返り咲く。
食わせること……。
--自分が贅沢したいというお坊ちゃま政治と違って魅力があった……。
国民が医療にかかれない時代に、一日に何十万もする個室に入っていた総理のその費用はすべて血税から……。
せめて国立病院に入院しろ!
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目 次
濱井信三・著/朝日新聞社1967年
広島市に原爆投下されたとき、広島市の職員であった著者。広島市の人に食べさせ、着せることに奔走された……。ドラマにしてもおもしろいだろうと思った。
司馬遼太郎は、国民をまず食わせろ!
と、政治家の基本中の基本とされていたように思えます。
戦争をおしすすめた政治家は、ここでも活躍していない。
その子孫の政治家も、国民の福祉など考えない人たちでもありますね。
国民を食わせること、着せること、住ませることを一番にして欲しい。
--その後に、イデオロギーなどという趣味的なものにしていただきたいと思う。
しかし、いきなりイデオロギーという趣味に走り、「ゼロサム」ゲームをしている政治家たちがいる。
--早く騙されない国民になって欲しいものです。
この政治家はそんな愚かなゲームをする人ではない。
--原爆を投下されたとき、軍にトラックを出してくれるように一発大声でどなったという。
府中町の食糧営団を目指して、トラックで行く。下「」引用。
「府中の食糧倉庫には、呉市から応援に駈けつけてくれたトラックが一台、待機していた。われわれは二台のトラックに、菰詰の乾パンを満載してとって返し、臨時防空本部が開設されているはずの職業紹介所のところまで帰って来た。」
この時の軍の偉い人のことも書かれてある。下「」引用。
「双葉山につていみて、山腹にたくさんの防空壕が口をあけているのを初めて見た。指定された壕に行ってみると、一番奥に偉いらしい軍人が大あぐらをかいていた。今後の対策について皆に意見を求める集まりであったが、結局、何はおいても市民の士気を鼓舞しなければならない。そのためには、警備司令官と地区司令官の名において、布告の貼りビラをして、市民の奮起を促すということを決めただけであった。」
国民を食わせることもできずに、戦え!
--無理なことはいわないで下さいね。
食べずに戦え! というのなら、まず、あなたがそうするべきだ!
--国民に丸投げ! 無能な人たちに耳を貸すべきではない。
生活物資に苦心されたことが書かれてあります。
ドラマ化されても、おもしろいのではないかと思う。
陸軍から軍服をもらう。
--「広島市は復員軍人だらけだ」
当時、広島市を訪れた人たちは、そういって目をみはったという。
木原市長は途中で退職すれば、退職金をもらえるが、公職追放されるまで職についていたという。
市長室吹雪、他の各課の事務室にいたっては、役所などというようなものではなかったそうだ……。
平和祭のことも書かれてあります。
キャサリン・ジョンソン女史のことも書かれてありました。
MRA世界大会のことも書かれてありました。下「」引用。
「「MRA」というのはMoral Re-Armamentの略である。訳して「道徳再武装」、--再武装といっても、これはアメリカの宣教師ブックマン博士がはじめた一つの平和運動である。」
1949年、MRAの定期大会(スイス)で、広島県選出の参議院議員・山田節男と大蔵大臣の北村徳太郎が出席。
広島市長として、楠瀬知事とともにメッセージを山田氏に託したという。
市の財政収入になることをしようと広島カープを結成。
広島城の「鯉城」をとって、「カープ」のニックネームに。
昭和25年、セリーグに加盟。西練兵場で結団式。
広島市長三選目で落選した著者。
--渡辺氏が当選、1,577票差であったという。
公約の百メートル道路をつぶして住宅にというのは守られなかったという。
そして、著者は次の選挙で市長に返り咲く。
食わせること……。
--自分が贅沢したいというお坊ちゃま政治と違って魅力があった……。
国民が医療にかかれない時代に、一日に何十万もする個室に入っていた総理のその費用はすべて血税から……。
せめて国立病院に入院しろ!
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