磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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国文学解釈と鑑賞 第50巻9号

2008年07月20日 | 読書日記など
『国文学解釈と鑑賞 第50巻9号』
  長岡弘芳・他、著/至文堂1985年

ここでも、ステレオタイプに永井隆批判を繰り返されている……。
--ある主の団体に睨まれると困ったものだと思う……。
その団体では、アンケート(原発関連)でさえも、意見を一つにしているという……。
--それで民主主義なのだろうか……。
多様性を認めることが、平和のキーワードという人たちもいるが、アンケートでさえそれである……。



「対談 原爆文学をめぐって」中野孝次、長岡弘芳(ひろよし)。
--大田洋子のことが話題になっている……。下「」引用。

「長岡 大田洋子なども、周りの口さがない人たちから、「あなたはああいう未曾有の体験の中に自分が追い込まれて、それを作品に書けて、それはある意味で、作家として幸せじゃあないの」という言い方をされると、その時だけはキッとなって、「人間どんなことがあったってあんな状態に押し込められてはいけないのだ」そう繰り返し言ったと佐多稲子さんが回想していますが、本当にそういったところがありますね。」

そして、印象的なことも話されている。下「」引用。

「胎内被曝児なんかも一種の象徴なんです。多くは死んでしまったのに彼らは生命力が強いから生き永らえた。」

「原爆文学の輪郭」長岡弘芳・著。下「」引用。

「長崎の医師・永井隆も、主にキリスト教徒として原爆被災を殉難とする立場から、「長崎の鐘」('49年)を初め幾つもの回想類を書きブームを呼ぶ。がそこにも占領軍検閲の爪跡は残されている。「夏の花」の公表は二年後、「屍の街」のそれは三年後のことで、ともに削除のあとをとどめている。」

もくじ

「大田洋子論」江刺昭子・著。下「」引用。

「洋子の原爆ものが体験と見聞きの範囲を出ない以上、そこには必ず作者の分身が顔を出す。その分身を甘やかし続けたことが、執念の諸作の傷になっているのではないかと思う。」

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これは多くの人たちに言えることだろうと思う……。
もっと「戦争責任」のことを考えていてくれたらと思う。
--それは湯川秀樹や武谷三男にも言えることだ……。

手塚治虫も「鉄腕アトム」を太陽のなかに突入させるより、原子力は危険なエネルギーだとしてくれていたら、こんなに原発は推進されなかったのではないか? とも思う。

「『長崎の鐘』・『この子を残して』・『原子雲の下に生きて』(永井隆)」島田昭男(女子栄養短期大学教授)・著。下「」引用。

「『長崎の鐘』は、永井が「しばしば語った“転禍為福”という被爆者たちの祈りと願望」に応えるには「一定の効果」を持ちえたかもしれないが、「天皇の戦争責任とアメリカの原爆犯罪」を免罪化している点で、「原爆記録としてのリアリティ」が稀薄であるという鎌田定夫の批判(「長崎の怒りと祈り」、「福音と世界」昭56・8)が生まれたのも理由のないことではなかった。ここで鎌田が「天皇の戦争責任」の免罪に言及しているのは、前にも引用した「原子爆弾合同弔辞」の中に、-略-」

この時代背景も批判をするなら考えるべきだと思う。
「燔祭論」も公的なもので語ったものでなく、宗教の自由である……。
永井の発案ではなく、ユダヤ教にも「燔祭論」があり、ホロコーストもそのような意味合いがあると書く人もいる……。

目次

この著者は珍しく永井隆の共産批判を取り上げている。
しかし、共産側のことは書かない。
どんなことを当時の共産党がしていたかも書かれるべきだろう。
--多くの人が驚くことだろうとボクは思うのだが……。
さらに、永井隆の弟はシベリアに送られてた。もちろん永井の弟だけではないが……。
--満州でのソ連の非人道的なことや、シベリア抑留での非人道的なことは書かない。
そして永井は共産主義に注意をはらうように書いた。共産主義者を愛するように書いた。
--その後のことだが、シベリア抑留などをしたソ連という国を、資金などの支援を受けている組織に関する人たちが、平和の勢力といい、核兵器さえ、平和の武器とした方がよほど異常だったと思う。
--そして平和運動も分裂させていったと、歴史をみることができるのではないか?
永井隆博士の心配が現実になったとボクには思える……。

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--権威主義的な平和運動の時代はすぎたようにも思える……。
権威主義的発想は、平和に遠いものだとボクは思う……。

現在、「平和憲法」に対しても、共産主義者は大きな旗をあげるが、反対していたのは、共産主義者である……。

歴史を忘れてもらっては困る……。



「原爆と短歌」米田利昭・著。下「」引用。

「大田洋子が、「私は好戦的になった。かなずしも好きではなかった戦争を、六日のあの日から、どうしても続けなくてはならないと思った。やめてはならぬと思った」という、まさに文学的な思想も、短歌では表現できなかった。」

している人もいるとボクは思える……。

どうも原爆エレジーをさげすんだ人たちに文学などわかってたまるか!
--そう思えるふしもある……。

「はだしのゲン」がいいのは、「原爆エレジー」を基礎にしてるけど、すばらしい世界をつくろうとするところだ!

人間をもっともっと愛そうとするところだ!

イデオロギー神話の人たちにはわかるまい!

「唯物論」だけではわかるまい!

人間にもどれ!








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