磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヒロシマを生きて

2008年04月02日 | 読書日記など
『ヒロシマを生きて』
  石田明・著/労働教育センター1998年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「インドが核保有国に…、核兵器時代に、新たな乱れが生まれている。いま世界は核被爆の原点、広島に目を向け、広島で生きた被爆者石田さんの警鐘の声に耳を澄ませたい。そこには洗練されたヒロシマの哲学がある。
  広島県原爆被爆教職員の会 空辰男」



表紙の説明。下「」引用。

「母子
乳房を探すこの子は
母の死を
知っているのか
  表紙・画 増田勉」

会をつくった理由。下「」引用。

「私が育った戦前の軍国教育は、生命を投げだすことを美徳と教えられました。私はそれを信じ、進んで戦争に参加して、その挙げ句、原爆地獄に突き落とされました。そのような誤った教育の怖さを身をもって知る私に、兄をはじめ多くの原爆犠牲者が、教師として「平和を尊び、生命を大切にする人づくりのためにその身を捧げよ」と、遺言しているように思えるのです。私はそういう思いにかられて、ありったけの力を「ヒロシマ」に注ぎこんできました。
 一九六九年(昭和四四年)には、仲間の被爆教師たちと広島県原爆教師の会(現・広島県被爆教職員の会)をつくりました。原爆の風化に抗して、私たちの被爆体験をもつ教師が、「平和教育の先頭に立とう」との思いからでした。」

戦時中は……。下「」引用。

「当時、私は朝鮮にあった会寧(かいねい)航空隊に所属する陸軍少年航空特別幹部候補生でしたが、たまたま広島市郊外の実家に里帰り中でした。-略-あの日、武運長久を祈願するため、兄と一緒に電車で厳島(いつくしま)神社(広島県宮島町)に行くところでした。その途中で原爆に遭ったのです。」

非核三原則に対して。下「」引用。

「私たち被爆者団体をはじめ国内の平和団体は、政府の態度に業(ごう)を煮やして、これまで再三にわたり、非核三原則を明文化するように要請してきました。国会でも野党議員がそのことを要求しましたが、歴代内閣は「国是というのは、国によって立つ基本理念」として明文化を拒否しつづけています。非核三原則が法律にまさる国の基本理念であるのなら、どうして核持ち込み疑惑をきちんと調査するなど、もっと真摯(しんし)な対応をしないのでしょうか。言うこととすることが矛盾だらげです。」

著者は訴えます。下「」引用。

「訴訟は、私の名前をとって「石田原爆訴訟」と呼ばれました。「原爆訴訟」とはよい命名をしてくれたものです。訴訟の趣旨は認定申請却下処分の取り消しを求めたものですが、私は原爆投下の国際法違反と被爆者に対する国の責任を根本から問う決意でいました。」

原爆映画『ひろしま』の製作にも参加。

ビデオカセットも製作。下「」引用。

「一九八四年(昭和五九年)には「ヒロシマ」「ヒバクシャ」「炎の中に」の三本のビデオを平和学習のビデオセットとして製作しています。」

YouTubeで公開してもらうとありがたいのだが……。


「入試にでない余計な授業」
一 わたしは人間です。自分の不利益にはけっしてだまっていません。
二 わたしは人間です。なぜ、どうしてといつも大きな目をひらいて考えます。
三 わたしは人間です。いけないことははっきり「いけない」と批判します。
四 わたしは人間です。働くことを何よりも大切にします。
五 わたしは人間です。みんなで手をつないですばらしい仕事をやりとげます。








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