磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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子ども文学館19 ブーツをはいた女の子

2009年04月05日 | 読書日記など
『子ども文学館19 ブーツをはいた女の子』
   木村幸子・作/頓田室子・絵/ポプラ社1980年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「妙子のカーディガンから、ころがりおちた小さな光る石。それが本物のダイヤモンドだとわかったとき、悲しいことがおこりました。
 このお話の中の人たちは、みんないい人たちです。それなのに悲しい事件がおきてしまいました。どうしてこんなことになってしまったのか?
……あなたたちの澄んだ目には、きっとわかるはずです。」

この物語は、ものすごく問題をふくんでいます。

科学的に解明されていないことも含まれます。

だからといって、問題を無視していいわけでもありません。

赤ちゃん殺人事件です。

そしてその犯人は被爆者……。

夫がなくなって8か月後に、小頭症の赤ん坊が産まれ、一週間後に死亡。

そして、心に病をもってしまい、赤ちゃんを殺してしまったという。
精神病院に入院。

「あとがき」で作者は書く。下「」引用。

「-略-おとなたちの影絵のような絶望的な状態です。
 それが私に、この『ブーツをはいた女の子』を書かせました。」




『こどもとしょかん 1981 春』
   松岡享子・編/東京子ども図書館1981年

上の作品の批判がのっています。下「」引用。

「本誌五号(八○年春号)で、中野重治氏は、いくつかの戦争を扱った児童文学作品にふれて、戦争というような「なかなかの大問題を、お手軽な、そしていい加減な絵でやるのは、大人の責任として非常によくない。不道徳だと思う」と、述べておられる。また、アメリカの作家J・ウェストは、「世の中には、ただ一種類の不潔な本がある、それは人生の偽りを伝える本だ」と言っている。この本は、そんなことばを思い出させる。
 戦争と反対の極にあるのは、人間愛であろう。とすれば、この世界から戦争をなくすことを願う心は、まず隣りにいる人を愛するところから生れ育つはずである。戦争反対を訴えるかに見せながら、ここに登場する人物は自らその主張を裏切っている。-略-
 もっとも深く衝撃的である死を、三面記事的文体で描くこと自体、生命の軽視だ。いくら原爆や戦争をもちこんだからといって、その欺瞞が許されるとは考えてほしくない。」

まず、『ブーツをはいた女の子』はたしかに大きな問題を描いたと思う。

だからといって、ここまで書いていいものだろうか?

愛のある行動だけを描いて、平和がくるのでしょうか?

戦争では心に病をもった人たちは多い。

この人たちを無視することで、平和がくるとはボクには思えない。

セレブのブッシュ大統領などは、ベトナム戦争のときも本国におり、問題のある状況から逃げることはできただろう……。

そして、きれいごとをいっている人たちばかりで、平和はこなかったのではないか?

戦争愛国美談……。

これこそが、非難の対象になっていいものだろうとは思う……。

芸術の世界にもジャーナリズムの世界でも、大本営はあってほしくないものです……。

三面記事もきちんと伝えない時代、三面記事もないよりはよかったのではないか?

そう思えてくる……。

理解できないからといって、放り出してはダメだろうとボクは思う。

ベトナム戦争でPTSDが解明された。

それ以前の長崎の原爆でも、そのようなことがあっても何の不思議もない。

そんな大きな傷をもっていた人たちを見捨ててしまった人たちのほうが、愛がないのではないか?

ただ、児童文学にふさわしいかどうかは疑問である……。

著者の絶望的な状態というのも、私には理解できなかった……。

不完全燃焼というところです。

そして、心に病のある人たちは今もいっぱいです……。

そんな人に真剣にたちむかっているのは、天童荒太くらいのものです。

天童のように、あたたかい視線が、著者にあったらよかったと思うが……。

大本営よりはマシだと思う……。






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