磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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絵本・語りつぐ戦争3 とうさんとこえた海

2009年04月05日 | 読書日記など
『絵本・語りつぐ戦争3 とうさんとこえた海』
   門司秀子・文/長野ヒデ子・絵/葦書房1980年

引き揚げにかんする記録もいくつか読みました。
--簡単なものではなく、やはり悲惨としか言えません……。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「中国からひきあげた少女
きょう子は、中国で生れた中国で育ちました。
きょう子が八さいの夏、日本は戦争にまけ、中国にいた日本人は、みんな人へひきあげねばならなくなりました。
きょう子と、弟の一郎とかあさんは、日本人収容所にはいって、戦争にいったとうさんを、まちましたが、とうとうとうさんは生きて帰りませんでした。とうさんの遺骨を、小さなリュックにいれて、きょう子は、ながくつらい日本へのひきあげの旅に出発します。
毎日毎日、大きなにもつをもって、歩きつづけました。たべるものはわずかで、お腹がすいてたまりません。汽車は、天井のないむがい貨車に、人をにもつのようにつめこんで、港にむけて走りつづけます。
ひきあげ船のでる港では、倉庫の中で一週間くらしました。
とちゅう、きょう子は、たくさんの大人や子供たちが死んでゆくのを、みました。
1945年12月、ひきあげ船のL・S・Tは、きょう子のはじめてみる日本にむけて、出航しました--」

L・S・Tは、アメリカ海兵隊の上陸作戦用の船だという。

今の日本なら、自己責任かもしれませんね……。

裏表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「〈アジア〉体験の語りつぎを
1945年8月15にち、日本が降伏したとき、朝鮮・中国をはじめ、アジア各地には、300万人以上の一般の日本人が住んでいました。それからの人びとの中には戦争がはじまる以前から、その地に住みついた人も多く、異国の地を、第二の故国にするつもりで生活していた人もおおぜいいました。-略-この引き揚げの際に、言語に絶する悲劇や惨劇がおこり、たくさんの人たちがいなくなったのです。具体的なひとつひとつの事実については、ぜひみなさんが自分で回想記や体験者の話をきいてほしいと思います。-略-アジアにおけるにがい体験を、真にゆたかな経験にするために、もっと深く戦前の〈アジア〉体験を語りつぐ必要を切に感じます。(編集部)」







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