磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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第二次世界大戦8 戦争下の市民生活

2009年04月29日 | 読書日記など
『第二次世界大戦8 戦争下の市民生活』
   江口朴郎・監修/蓮沼美栄・著/太平出版社1985年

「第八巻について」 下「」引用。

「一五年におよぶながい戦争は、「戦場」からはとおくはなれて生きているはずの「銃後」の市民たちの生活をもいやおうなくまきこんで、おおくのぎせいを強いた。
 天皇のために死ぬことだけを教えこまれて、他国を侵略することのふかい罪悪に気づくどころか、日本が「大東亜共栄圏」の「盟主」にのなることをとうぜんのこととおもいこんでいた点で、「銃後」の市民も「戦場」の兵士たちとかわるところはなかったにしても、市民生活のすみずみにいたるまで強いられたぎせいは、やはり過酷にすぎるものだった。-略-」



--「あいつぐ労働・小作争議」
当然だろうと思います……。

大震災後の庶民の文化? 下「」引用。

「関東大震災のあと、東京では近代的なビルディングがつぎつぎと建設された。また、住宅として、同潤会が鉄筋コンクリートづくりの集合住宅を総計二、五○八戸分建設した。一戸の広さは一○坪(三三平方メートル)前後だったが、人びとのあこがれのまととなった。
 同潤会アパートとともに、小さな玄関の横に、四畳半か六畳の洋間(応接室)、二、三の和室、台所は土間をなくして流し台をおいた東京式とよばれた文化住宅が一、○○○円前後でさかんにたてられた。
 このような文化住宅が高嶺の花であり、応接室などもてない人びとにちょうどよい場所として、喫茶店が急激にふえた。-略-」

人形も戦争の影が……。下「」引用。

「人形も国防婦人会の人形、愛国婦人会の人形とか、兵隊さん人形にかわっていった。-略-」

戦意高揚マンガ……。下「」引用。

「子どもたちの大すきなマンガは、田河水泡の「のらくろ」、島田啓三さんの「冒険ダン吉」、坂本牙城の「タンクタンクロー」など人気のたかい作品もでたが、しだいに戦勝宣伝の役割ももたされて、戦争へにの国民の協力、対外宣伝の武器となった。-略-」

信教の自由も奪われた……。下「」引用。

「大本教、ひとのみち教団弾圧 このような思想・学問の自由をうばった政府は、信教の自由についても統制の外におくことはしなかった。大日本帝国憲法のもとでも、「安寧秩序ヲ妨ゲズ及臣民タルノ義務ニ背カザル限ニ於テ」信教の自由はみとめられた。しかし、戦争の進展とともに神社参拝や天皇崇拝が強要され、信教の自由は日ましにおかされていった。
 三五年、天皇の尊厳をきずつけたという不敬罪の名目で、大本教の出口王仁三郎以下六一人の幹部がいっせいに検挙された。大本教は「明治」時代に出口によってひらかれた神道系の新興宗教である。-略-」

当時は創価学会も……。下「」引用。

「そのほか、天理教・キリスト教・創価学会・大日本立正佼成会などにたいしても、不敬罪や治安維持法により、「神宮若ハ皇室ノ尊厳ヲ冒瀆」するという名目で弾圧がくわえれた。」

「特高弾圧」 下「」引用。

「「昭和」初期、まず共産党に「アカ」攻撃がくわえられた。検挙された党員のなかには、指のあいだにに鉛筆をはされまれたり、三角形の棒の上にすわらされてひざの上に石をおかれたり、天井からさかさづりにされたり、生爪をはがされたりといった拷問をうけた。そして、党組織の自白をせまられた。」

検閲もあり、真実は伝えられなくなったという……。下「」引用。

「この弾圧をつうじて、政府は「特高」とよばれる特別高等警察を強化して思想のとりしまりにあたった。
 このような一連のうごきについては、すでに政府の報道規制や検閲によって、真実をつたえることができなくなっていた。」

大手マスコミでは、今も当時とそうかわりがありません……。
--特に原子力の分野ではひどいものです……。

隣保班という相互監視体制……。下「」引用。

「いっぽう、政府は国民を統制するしくみとして全戸加入をさだめた隣保班(りんぽはん)をもうけ、統制と動員のルートをつくった。農村では五人組、都市では隣組とよばれ、政府の「上意(じょうい」を国民に「下達(かたつ)」し、戦争協力にかりたてた。
「とんとん、とんからりんと隣組、格子をあければ顔なじみ、まわしてちょうだい回覧板……。」とうたわれた隣組みは、国債金属回収のわりあて、出征兵士の歓送会、遺骨のでむかえ、勤労奉仕、防空演習が義務づけられた。」

発禁にされた「毎日新聞」……。下「」引用。

「四四年二月二三日付「毎日新聞」では「勝利か滅亡か 竹槍では間に合わぬ 飛行機だ 海洋航空機だ」という見出しのもとに、敵機にたいして竹槍ではたたかえないという「竹槍無用論」をのせた。これは、たちまち陸軍のいかりをあびて、発禁となった。
 新聞は、このような事実について論評もできないばかりか、用紙事情の悪化で、夕刊を廃止したり、朝刊もわずか二ページのペラ新聞となり、社会の公器としての役割は完全になくなっていた。」









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