磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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この旅にいのち燃やした

2008年06月27日 | 読書日記など
『この旅にいのち燃やした』
   松本醇・著/毎日新聞社1988年

旅に視点をあてて、人生を語ってもらったようである。下「」引用。

「人の歴史には、以後の人生を変えてしまうほどの忘れ難い旅がある。だれもがその旅の中で自分を見つめ、自分をみつける。この人が“いのち燃やした”たった一つの旅--。」




二葉あき子が原爆について語られています。下「」引用。

「昭和二十年八月六日。広島市に原子爆弾が投下された日--。
 その町には、ごく当たり前の人々の営みがあった。-略-」

もちろん、広島も軍事関連ばかりではなかったですね。

“報国”というので、歌っていたという。下「」引用。

「広島市での毎日は、慰問で明けて、暮れた。軍事施設や、各地の連隊で歌う。
 伴奏はアコーディオンだけ。
 伴奏は時として、軍服の兵隊さんであったりもした。
 歌うのがこの時代のプロ歌手の“報国”とされていたが、乞われなくても自分から歌いたい気持ちが十分にある。自分の声で明るい気分を呼び覚すことは、嫌ではなかった。」

二葉は“中山トンネル”で原子爆弾の爆音をきいたという。

戦後、レコーディング。下「」引用。

「こうして吹き込んだ「フランチェスカの鐘」(昭和二十三年)は、焼け跡の日本の国土と人の心を、潤した。」

そして、こんなエピソードがあるという。下「」引用。

「フランチェスカの鐘を歌っているとき、いつの頃だったのかしら。お客さまの坐ってらっしゃるうしろの窓ぎわに、白い……大勢の人が、伸び上がるようにして私の聞いているのが本当に見えたの。一度だけでなく、そんな事が何度も。私のふるさとの、亡くなった沢山のひとたちが聞いてくださっているのだわ……と、私は思っているの。粗末には歌えません」


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