『1945年8月6日・ヒロシマ
チンチン電車と女学生』
堀川惠子、小笠原信之(著)/日本評論社2005年
戦争になると、男が兵隊にとられて、
女学生がチンチン電車の運転士をしていたという。
ぼくも、働きながら大学へ行きましたね。
夜学に通ったこともあります。
働きながら、学べる『広島電鉄家政女学院』
というのがあったそうです。
戦時中の一九四三年春に開校、
被爆までの二年半で歴史を閉じた。
「幻の女学校」とよばれ、
その存在に光が当たりだしたのは、
つい最近のこと。
広電は今年(2006年)の8月6日をもって、
「650形」の二両を廃車にする予定だった。
取材後、方針変更があり、まだ一年ほどは
現役を続けることになったという。
市民から愛されていたようだ。
同じ年ごろの男子学生が興味津々だったそうだ。
ロマンスも生まれたという。
1945年春には授業なくなったという。
女学生が市電を運転していたそうです。
チンチン電車に無料で乗れるので、宮島に遊びに行く。
その写真には「検閲済」の判子がおしてあったという。
こんなことにまで検閲をしていたのである日本は……。
看護婦特攻隊ということが書かれてありました。
もちろん、患者の看護をするのではなく、
特攻隊であったという。
被爆三日後に復旧、その一番電車に車掌として乗務したのが、赤松春野さん(二期生)だった。赤松さんは被爆孤児になったという。
そのころは、お金のない人からは電車賃をもらわなかったという。
これはテレビ番組で放送されたという。
55分のドキュメンタリー番組『チンチン電車と女学生~2003・夏・ヒロシマ』
ナレーションは吉永小百合さんだったようです。
【関連サイト】
広島市交通科学館へ
都電車内で平和劇上演【読売新聞】'06/7/27
[中沢啓治ヒューマンコミックス]
4.5.チンチン電車の詩
電車内被爆者の証言
被爆電車で上演
目 次
チンチン電車と女学生』
堀川惠子、小笠原信之(著)/日本評論社2005年
戦争になると、男が兵隊にとられて、
女学生がチンチン電車の運転士をしていたという。
ぼくも、働きながら大学へ行きましたね。
夜学に通ったこともあります。
働きながら、学べる『広島電鉄家政女学院』
というのがあったそうです。
戦時中の一九四三年春に開校、
被爆までの二年半で歴史を閉じた。
「幻の女学校」とよばれ、
その存在に光が当たりだしたのは、
つい最近のこと。
広電は今年(2006年)の8月6日をもって、
「650形」の二両を廃車にする予定だった。
取材後、方針変更があり、まだ一年ほどは
現役を続けることになったという。
市民から愛されていたようだ。
同じ年ごろの男子学生が興味津々だったそうだ。
ロマンスも生まれたという。
1945年春には授業なくなったという。
女学生が市電を運転していたそうです。
チンチン電車に無料で乗れるので、宮島に遊びに行く。
その写真には「検閲済」の判子がおしてあったという。
こんなことにまで検閲をしていたのである日本は……。
看護婦特攻隊ということが書かれてありました。
もちろん、患者の看護をするのではなく、
特攻隊であったという。
被爆三日後に復旧、その一番電車に車掌として乗務したのが、赤松春野さん(二期生)だった。赤松さんは被爆孤児になったという。
そのころは、お金のない人からは電車賃をもらわなかったという。
これはテレビ番組で放送されたという。
55分のドキュメンタリー番組『チンチン電車と女学生~2003・夏・ヒロシマ』
ナレーションは吉永小百合さんだったようです。
【関連サイト】
広島市交通科学館へ
都電車内で平和劇上演【読売新聞】'06/7/27
[中沢啓治ヒューマンコミックス]
4.5.チンチン電車の詩
電車内被爆者の証言
被爆電車で上演
目 次