『在日米軍最前線-軍事列島日本-』
斉藤光政・著/新人物往来社2008年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「隠されたF16戦闘機の事故、配備されたJTAGS(ジェイタグス)、Xバンドレーダーの問題点、北朝鮮特殊部隊の元高級官僚の証言、独自に入手した米軍機密文書から明かになった衝撃の事実など、米軍再編の真実を描き出す。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/85/3bcd6a96f6654341fcbc49f2025adcc3.jpg)
青森県の三沢は、ミサイル防衛の拠点、対北朝鮮の最前線だという。
現実は日本が対北朝鮮の露払い役として米国に利用されている……。
対ミサイル防衛の効果はないといっていいようだ……。バックにいるのは米国と日本の軍需産業……。
米国国務省の高官、「壊れたおもちゃ“アジア”」
横須賀と佐世保……。下「」引用。
「米海軍の軍港である横須賀と佐世保(長崎県)の整備能力は、米本土の海軍施設をしのぐともいわれている。「それと、日本は政治的安定が魅力だ」と将官は続けた。」
--アーミテージと九条
2000年「アーミテージ・リポート」、集団的自衛権の禁止は日米同盟の束縛。
もちろん、改正派にとって最大のターゲットは、アーミテージ元国務副長官が指摘するように九条(戦争の放棄)にあった。
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永久化をねらう米軍……。下「」引用。
「米軍は日本列島内で自らの存在を目立たなくする作業に静かに着手していることを見逃してはいけない。国防総省の言葉を借りるなら「足跡を小さくする」作業だ。それは、米空軍基地の自衛隊または民間航空との共同使用、すなわち「軍民共用」という形を借りて進められようとしている。
在日米軍が自らの足跡を小さくした理由、それは極めて簡単だ。基地に否定的感情を抱く日本の世論とそれに苦慮する日本政府へ配慮しているのだ。米軍は存在感という「虚」を捨てることで、日本駐留の永久化という「実」を手に入れようとしているのである。」
「ピースデポ」(神奈川県横浜)の情報。下「」引用。
「米海軍が寄港候補地として位置づけている国内の港は二四カ所。日本海での発射監視任務が始まった二○○四年以降、イージス艦の寄港は急激に増え、しかも、青森や秋田(二○○六年四月)、高知(五月)、和歌山下津(五月)のように寄港実績のない港への立ち寄りが目立つのが特徴だ。
こうした状態を「寄港の既成事実化を図っている」と多くの軍事専門家は口をそろえる。」
「非核三原則のトリック」 下「」引用。
「三沢をはじめとする出撃基地に通常保管するのは、核物質抜きの「コンポーネント」と呼ばれる核爆弾本体で、「コア」と呼ばれる核物質は、最終段階に米軍政下の嘉手納基地から運び込み手はずになっていたのだ。
「核物質が装てんされていない以上、“核爆弾”は存在しない」というのが、米国の論理だった。-略-」
さらに、抜け道として、「イントロダクション(貯蔵・配備)」をめぐる日米の解釈。日本は通過も駄目だが、「イントロダクション」は「通過」は意味しない。
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核に関わる場所があった。下「」引用。
「当時、嘉手納基地内の技術中隊の軍属として「核貯蔵庫」に出入りしていた友寄朝英氏(沖縄県宜野湾市、故人)は、「広大な嘉手納弾薬庫の中で、その一画だけ、白い作業服(核防護服)を着た人間が出入りしていました。施設本体は地下六階という地中深くありましたが、入る際には胸に(放射線の被ばくの有無を確認する)フィルムバッジを付けることを義務付けられました」と、核にかかわる特別な場所であったことを裏づける。」
決死隊・北朝鮮特殊部隊。下「」引用。
「北朝鮮特殊部隊のなかには、在日米軍基地、特に三沢を肉弾攻撃の標的とした決死隊が存在していることを、脱北した元国家安全保衛部の元幹部が証言している。三沢に隣接する六ヶ所村に国内唯一の核燃料サイクル施設があることも不安要因だ。-略-」
反戦、米国基地内。下「」引用。
「彼らは反戦紙「HAIR(ヘアー)」基地内で刊行し、ベトナム戦争反対を内外に呼びかけていた。あくまでも戦争遂行を目指す米軍にとって、ヒッピー風に頭にバンダナを巻き、「死がそこまできている」「愛と平和を」と叫ぶ反戦米兵は耐え難い存在だった。」
ジェーン・フォンダ。下「」引用。
「三沢市民会館は閑散としていた。入場者は八○人程度。米国の人気女優、ジェーン・ファンダらが反戦ショーを開き、八○○人以上の人手で込み合った半年前がうそのようだった。」
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もくじ
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斉藤光政・著/新人物往来社2008年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「隠されたF16戦闘機の事故、配備されたJTAGS(ジェイタグス)、Xバンドレーダーの問題点、北朝鮮特殊部隊の元高級官僚の証言、独自に入手した米軍機密文書から明かになった衝撃の事実など、米軍再編の真実を描き出す。」
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青森県の三沢は、ミサイル防衛の拠点、対北朝鮮の最前線だという。
現実は日本が対北朝鮮の露払い役として米国に利用されている……。
対ミサイル防衛の効果はないといっていいようだ……。バックにいるのは米国と日本の軍需産業……。
米国国務省の高官、「壊れたおもちゃ“アジア”」
横須賀と佐世保……。下「」引用。
「米海軍の軍港である横須賀と佐世保(長崎県)の整備能力は、米本土の海軍施設をしのぐともいわれている。「それと、日本は政治的安定が魅力だ」と将官は続けた。」
--アーミテージと九条
2000年「アーミテージ・リポート」、集団的自衛権の禁止は日米同盟の束縛。
もちろん、改正派にとって最大のターゲットは、アーミテージ元国務副長官が指摘するように九条(戦争の放棄)にあった。
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永久化をねらう米軍……。下「」引用。
「米軍は日本列島内で自らの存在を目立たなくする作業に静かに着手していることを見逃してはいけない。国防総省の言葉を借りるなら「足跡を小さくする」作業だ。それは、米空軍基地の自衛隊または民間航空との共同使用、すなわち「軍民共用」という形を借りて進められようとしている。
在日米軍が自らの足跡を小さくした理由、それは極めて簡単だ。基地に否定的感情を抱く日本の世論とそれに苦慮する日本政府へ配慮しているのだ。米軍は存在感という「虚」を捨てることで、日本駐留の永久化という「実」を手に入れようとしているのである。」
「ピースデポ」(神奈川県横浜)の情報。下「」引用。
「米海軍が寄港候補地として位置づけている国内の港は二四カ所。日本海での発射監視任務が始まった二○○四年以降、イージス艦の寄港は急激に増え、しかも、青森や秋田(二○○六年四月)、高知(五月)、和歌山下津(五月)のように寄港実績のない港への立ち寄りが目立つのが特徴だ。
こうした状態を「寄港の既成事実化を図っている」と多くの軍事専門家は口をそろえる。」
「非核三原則のトリック」 下「」引用。
「三沢をはじめとする出撃基地に通常保管するのは、核物質抜きの「コンポーネント」と呼ばれる核爆弾本体で、「コア」と呼ばれる核物質は、最終段階に米軍政下の嘉手納基地から運び込み手はずになっていたのだ。
「核物質が装てんされていない以上、“核爆弾”は存在しない」というのが、米国の論理だった。-略-」
さらに、抜け道として、「イントロダクション(貯蔵・配備)」をめぐる日米の解釈。日本は通過も駄目だが、「イントロダクション」は「通過」は意味しない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/57/6755c1b76e31e13af7a0d67f98465712.jpg)
核に関わる場所があった。下「」引用。
「当時、嘉手納基地内の技術中隊の軍属として「核貯蔵庫」に出入りしていた友寄朝英氏(沖縄県宜野湾市、故人)は、「広大な嘉手納弾薬庫の中で、その一画だけ、白い作業服(核防護服)を着た人間が出入りしていました。施設本体は地下六階という地中深くありましたが、入る際には胸に(放射線の被ばくの有無を確認する)フィルムバッジを付けることを義務付けられました」と、核にかかわる特別な場所であったことを裏づける。」
決死隊・北朝鮮特殊部隊。下「」引用。
「北朝鮮特殊部隊のなかには、在日米軍基地、特に三沢を肉弾攻撃の標的とした決死隊が存在していることを、脱北した元国家安全保衛部の元幹部が証言している。三沢に隣接する六ヶ所村に国内唯一の核燃料サイクル施設があることも不安要因だ。-略-」
反戦、米国基地内。下「」引用。
「彼らは反戦紙「HAIR(ヘアー)」基地内で刊行し、ベトナム戦争反対を内外に呼びかけていた。あくまでも戦争遂行を目指す米軍にとって、ヒッピー風に頭にバンダナを巻き、「死がそこまできている」「愛と平和を」と叫ぶ反戦米兵は耐え難い存在だった。」
ジェーン・フォンダ。下「」引用。
「三沢市民会館は閑散としていた。入場者は八○人程度。米国の人気女優、ジェーン・ファンダらが反戦ショーを開き、八○○人以上の人手で込み合った半年前がうそのようだった。」
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