NHK 2010年8月5日
あの日、きのこ雲の下で
原爆のキノコ雲の高さ。
--従来の計測で8,800メートル、事実は1万6000メートルの高さだったという。
黒い雨に関しても大きな見直しの必要があるという。
--つまり、被爆者がいっておられたこど正しかったということですね。
65年もたって、やっとわかったという。
■巨大なキノコ雲の姿■
写真から、キノコ雲の大きさを推定する……。
今も山の形はかわらない……。
■気象庁の聞き取り調査で黒い雨の降った地域を決めたという■
わずかな聞き取り人数(170人)だった。
そして、援護対象地域を決めたという(昭和51年)。
聞き取り対象ではなかった人たちは、降ったというが、上の基準外ということで、降っていないとされたという……。
そして、国の救済を受けられないという……。
【一枚の写真から8,080メートルと決め】
そして、その雲の範囲から、黒い雨のふった地域を確定したという。
【広島市は解明に乗り出す】
広島市立大学の研究グループが40枚の写真から解明する。
専用のソフトをつかって、計測する……。
以前の写真もアメリカから写真をとりよせ、広い地域の地形がうつされていた。
現地で地形を確認。
10900メートルだった。
さらに、雲は上昇を続けていたという……。
■雲のてっぺんが平らになっている写真■
高さ、15540メートルと計測されたという。
■CGでの再現■
爆発して、刻々と変化していく。
そして、16000メートル。
黒い雨の見直しが必要……。
■偏西風の影響も受けてただろう■
高度が高くなれば……。
雨の範囲はもっと広かった。
もくじ
■統計学を用いる広島大学・大瀧慈教授■
広島市とともに、アンケート調査(3万人)をおこなう。
具体的にこたえたのは1500人。
国が定めたよりも広範囲であったという。
■土壌から放射性物質を見つけ出す■広島大学 星正治教授。
原爆投下されてから、数年後に建てられた家の床下を調査する。
採取された土壌は金沢大学で分析がすすめられているという。
その結果、自然界にない放射性物質があったという。
セシウム137が発見された……。
地域を拡大して研究をすすめているようだ……。
--国の従来の評価は根本的に否定された……。
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INDEX
原爆のキノコ雲の高さ。
--従来の計測で8,800メートル、事実は1万6000メートルの高さだったという。
黒い雨に関しても大きな見直しの必要があるという。
--つまり、被爆者がいっておられたこど正しかったということですね。
65年もたって、やっとわかったという。
■巨大なキノコ雲の姿■
写真から、キノコ雲の大きさを推定する……。
今も山の形はかわらない……。
■気象庁の聞き取り調査で黒い雨の降った地域を決めたという■
わずかな聞き取り人数(170人)だった。
そして、援護対象地域を決めたという(昭和51年)。
聞き取り対象ではなかった人たちは、降ったというが、上の基準外ということで、降っていないとされたという……。
そして、国の救済を受けられないという……。
【一枚の写真から8,080メートルと決め】
そして、その雲の範囲から、黒い雨のふった地域を確定したという。
【広島市は解明に乗り出す】
広島市立大学の研究グループが40枚の写真から解明する。
専用のソフトをつかって、計測する……。
以前の写真もアメリカから写真をとりよせ、広い地域の地形がうつされていた。
現地で地形を確認。
10900メートルだった。
さらに、雲は上昇を続けていたという……。
■雲のてっぺんが平らになっている写真■
高さ、15540メートルと計測されたという。
■CGでの再現■
爆発して、刻々と変化していく。
そして、16000メートル。
黒い雨の見直しが必要……。
■偏西風の影響も受けてただろう■
高度が高くなれば……。
雨の範囲はもっと広かった。
もくじ
■統計学を用いる広島大学・大瀧慈教授■
広島市とともに、アンケート調査(3万人)をおこなう。
具体的にこたえたのは1500人。
国が定めたよりも広範囲であったという。
■土壌から放射性物質を見つけ出す■広島大学 星正治教授。
原爆投下されてから、数年後に建てられた家の床下を調査する。
採取された土壌は金沢大学で分析がすすめられているという。
その結果、自然界にない放射性物質があったという。
セシウム137が発見された……。
地域を拡大して研究をすすめているようだ……。
--国の従来の評価は根本的に否定された……。
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INDEX
『文藝春秋にみる坂本龍馬と幕末維新』
文芸春秋・編/文芸春秋2010年
帯にの書かれてあります。下「」引用。
「「明治維新は彼にとっては片手間の仕事だった」司馬遼太郎
龍馬、新選組、西郷、大久保、勝--
文藝春秋に掲載された手記、エッセイで読むこの国の運命を決めた男たちの真実」
恋文を龍馬が加尾に書いたのは、はっきりしているという。
龍馬の規範。下「」引用。
「このために、自分なりの規範を、自分でつくっていたところがありました。
--ひとに会うとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思え。たいていの相手は論ずるに足らぬように見えるものなり。
--義理などは夢にも思うことなかれ。身をしばられるものなり。
--恥ということを打ち捨てて世のことは成るべし。
といった彼らしい語録を残していますが、手製だから品がいいとはいえません。」
もくじ
吉田松陰のことも書かれてありました。
伊藤博文は「松陰の弟子などではない」。下「」引用。
「伊藤については熊本の宮部鼎蔵(ていぞう)のもとへ彼を遣いにやった折りの手紙でも「才おとり、学おさなきも、周旋の才あり」と妙な推薦をしています。周旋というのは当時政治という意味でした。これに伊藤は不快だったでしょう。だから後年元勲となってのち新渡戸稲造に質問されたときも「自分は松陰の弟子などではない」と突き放したもの言いをしています。」
「隆盛じいさんとばあさん」西郷吉之助(大西郷の孫)・著。
上野の像。下「」引用。
「そんなことで、上野の山に銅像を建てようということになった時、じいさんの兎狩りの姿を彫ろうということになって、高村光雲先生にお願いしたものだが、あの像がどういう姿だか知っている人はあまり居ないのではないだうか。
あの犬は、十匹の中でもじいさとばあさんがとくに可愛がっていたツンという雄犬で、じいさんの兎狩りの姿なのです。
除幕式にも列(つら)なったばあさんは、せっかくの亡き夫の銅像が、よくあるような威厳のある姿でないのが不満だったらしく、よく気にしていた。
ばあさんの心の中では、きっとおばあさんだけの西郷像が建てられていたのだろう。」
もくじ
身長五尺七、八寸と背が高かった龍馬の暗殺犯といわれる今井信郎。
もくじ
「「青い目の嫁」が見た勝海舟」クララ・ホイットニー(一又正雄編訳)。
クララは勝海舟の息子梅太郎の妻。
目次
鉄舟に斬りかかる明治天皇。下「」引用。
「山本鉄舟は名だたる剣客だった。明治天皇は、山本が本当に強いかどうか、ひとつためしてやろうとお考えになった。常の御殿の暗まぎれ、木刀でいきなりお斬りつけになった。体をかわした鉄舟はすぐにとっておさえた。維新前ならいざ知らず、明治宮殿の廊下の闇から斬ってかかるのは、明治天皇以外にない、ということを鉄舟は知っていたにちがいない。-略-真偽のほどは保障の限りではない。」
鉄舟は明治天皇を相撲で投げ飛ばしたという話もあるとか……。
大久保の演出で、大久保が西郷を追い出したという。
INDEX
資料的には……。下「」引用。
「事実とすれば、桂と龍馬は、このときたがいに出場として顔くらいは合わせていたことになるが、これをはじめて紹介(『海援隊始末記』)した平尾道雄氏は、のちに、資料的には疑わしいと訂正している。」
上品な高杉晋作。下「」引用。
「けれど高杉は、三十貫になんなんとする巨漢の西郷や、土佐の暴れン坊坂本龍馬といっしょに較べられるには、少々やさ男すぎる。
そのうえ神経質で病弱で、体格もまたまことに貧弱なものであった。
しかしその行動は放胆このうえなく、天馬空を征くがごとき活躍ぶりを示している。
そのため、高杉に対する評価は、往々にして剛勇無双の士ということになりかねないのである。
だが、現実の高杉晋作は、およそそんなイメージに合わない、上品でほっそりとした少年じみた顔立ちのずいぶんと神経質な青年であるにすぎなかった。」
もくじ
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もくじ
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文芸春秋・編/文芸春秋2010年
帯にの書かれてあります。下「」引用。
「「明治維新は彼にとっては片手間の仕事だった」司馬遼太郎
龍馬、新選組、西郷、大久保、勝--
文藝春秋に掲載された手記、エッセイで読むこの国の運命を決めた男たちの真実」
恋文を龍馬が加尾に書いたのは、はっきりしているという。
龍馬の規範。下「」引用。
「このために、自分なりの規範を、自分でつくっていたところがありました。
--ひとに会うとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思え。たいていの相手は論ずるに足らぬように見えるものなり。
--義理などは夢にも思うことなかれ。身をしばられるものなり。
--恥ということを打ち捨てて世のことは成るべし。
といった彼らしい語録を残していますが、手製だから品がいいとはいえません。」
もくじ
吉田松陰のことも書かれてありました。
伊藤博文は「松陰の弟子などではない」。下「」引用。
「伊藤については熊本の宮部鼎蔵(ていぞう)のもとへ彼を遣いにやった折りの手紙でも「才おとり、学おさなきも、周旋の才あり」と妙な推薦をしています。周旋というのは当時政治という意味でした。これに伊藤は不快だったでしょう。だから後年元勲となってのち新渡戸稲造に質問されたときも「自分は松陰の弟子などではない」と突き放したもの言いをしています。」
「隆盛じいさんとばあさん」西郷吉之助(大西郷の孫)・著。
上野の像。下「」引用。
「そんなことで、上野の山に銅像を建てようということになった時、じいさんの兎狩りの姿を彫ろうということになって、高村光雲先生にお願いしたものだが、あの像がどういう姿だか知っている人はあまり居ないのではないだうか。
あの犬は、十匹の中でもじいさとばあさんがとくに可愛がっていたツンという雄犬で、じいさんの兎狩りの姿なのです。
除幕式にも列(つら)なったばあさんは、せっかくの亡き夫の銅像が、よくあるような威厳のある姿でないのが不満だったらしく、よく気にしていた。
ばあさんの心の中では、きっとおばあさんだけの西郷像が建てられていたのだろう。」
もくじ
身長五尺七、八寸と背が高かった龍馬の暗殺犯といわれる今井信郎。
もくじ
「「青い目の嫁」が見た勝海舟」クララ・ホイットニー(一又正雄編訳)。
クララは勝海舟の息子梅太郎の妻。
目次
鉄舟に斬りかかる明治天皇。下「」引用。
「山本鉄舟は名だたる剣客だった。明治天皇は、山本が本当に強いかどうか、ひとつためしてやろうとお考えになった。常の御殿の暗まぎれ、木刀でいきなりお斬りつけになった。体をかわした鉄舟はすぐにとっておさえた。維新前ならいざ知らず、明治宮殿の廊下の闇から斬ってかかるのは、明治天皇以外にない、ということを鉄舟は知っていたにちがいない。-略-真偽のほどは保障の限りではない。」
鉄舟は明治天皇を相撲で投げ飛ばしたという話もあるとか……。
大久保の演出で、大久保が西郷を追い出したという。
INDEX
資料的には……。下「」引用。
「事実とすれば、桂と龍馬は、このときたがいに出場として顔くらいは合わせていたことになるが、これをはじめて紹介(『海援隊始末記』)した平尾道雄氏は、のちに、資料的には疑わしいと訂正している。」
上品な高杉晋作。下「」引用。
「けれど高杉は、三十貫になんなんとする巨漢の西郷や、土佐の暴れン坊坂本龍馬といっしょに較べられるには、少々やさ男すぎる。
そのうえ神経質で病弱で、体格もまたまことに貧弱なものであった。
しかしその行動は放胆このうえなく、天馬空を征くがごとき活躍ぶりを示している。
そのため、高杉に対する評価は、往々にして剛勇無双の士ということになりかねないのである。
だが、現実の高杉晋作は、およそそんなイメージに合わない、上品でほっそりとした少年じみた顔立ちのずいぶんと神経質な青年であるにすぎなかった。」
もくじ
もくじ
もくじ
もくじ
『南京への道 朝日ノンフィクション』
本多勝一・著/朝日新聞社1971年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「「南京の事件」への新たな視点
杭州湾から南京へ攻めのぼる途上、日本軍は中国市民への暴行・虐殺・強姦・放火などを繰り返した。前著『中国の旅』の姉妹篇。」
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「虐殺は杭州湾・上陸直後からおこなわれていだが、検閲によって日本国民にはまったく知らされなかった。(略)日本軍将兵による一般市民への暴行・虐殺・強姦・放火などの様子が報道や作品にあらわれることなど、ありうべからざることであった。いわば「報道の原則」としていいかえるなら、対立する二者のうち中国側の視点が完全に欠落していたことになる。このたび私がたどった杭州湾から南京への道は、その欠落していた半分を四六年ぶりに補うための取材旅行でもあった。」
「反省なき民族」 下「」引用。
「ドイツが(西も東も)ナチ当時の戦争犯罪に今なおこだわり、その残虐行為に時効をみとめず追究・反省しているのにたいして、A級戦犯を戦後も総理にして恥じぬ神経の日本に、小さいとはいえこのていどの仕事であってもよいだろう。よく「日本人は国際感覚が乏しい」といわれるが、それは言葉の問題などではなく、こうした「反省なき民族」の態度こそが核心なのだ。」
火野の作品は平和ではないという。下「」引用。
「『土と兵隊』にせよ『麦と兵隊』にせよ、けっして反戦的なものではなく、苦難をともにする兵隊仲間へのふかい愛情で一貫している。-略-」
日本軍の艦船(杭州湾)。下「」引用。
「近づくにつれて、道ばたや川の中などいたるところに死体が散らばり、ブタやウシの死骸も目についた。鮮血が道路を流れてかたまった跡もあり、海岸の沖には日本軍の艦船がぎしり並んでいた。」
虐殺された一家……。下「」引用。
「一ヵ月余り後になって、兄や他の同村の人たちと一緒に現場を見に行った。三十余人の死体はすっかり腐っていた。みんな泣きながら、肉親たちの死体を片付けた。棺桶もないので、顧さん兄弟は草を編んだ筵(むしろ)に父母の遺体をくるみ、家の焼け跡近くに埋葬した。」
むごいレイプの証言……。
一家全員自殺。下「」引用。
「草巷4号に「戴」という五三歳の主婦がいた。家族がいる家の客間で強姦されたうえ、自宅に放火された。当人を含む九人の家族は、井戸に全員がとびこんで集団自殺をとげた。」
もくじ
小平義雄という元日本兵。下「」引用。
「しかしながら、中国における強姦虐殺の無数の実例のなかで、日本側の証言としてとくに注目すべき一例は、日本への帰国したあとで同じような強姦虐殺を何人もやった小平義雄であろう。今の中年以上の人であれば、戦後まもないころの有名な連続強盗殺人事件犯人として死刑になったこの男の名を忘れはしまい。その小平が、予審著書の中でつぎのように語っている(『新評』一九七一年八月号)。
「上海事変当時、太沽では強姦のちょっとすごいことをやりました。仲間四、五人で支那人の民家へ行って父親を縛りあげて、戸棚の中に入れちまって、姑娘を出せといって出させます。それから関係して真珠を取って来てしまうんです。強盗強姦は日本軍隊につきものですよ。銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で刺して子供を出したりしました。私も五、六人はやっています。わしも相当残酷なことをしたもんです」」
「据えもの百人斬り」 下「」引用。
「これでは、あの武勇伝も実は「据えもの百人斬り」であり、要するに捕虜虐殺競争の一例にすぎなかったことになる。実際問題として、-略-白兵戦のような状況で自分が傷つかずに一○○人も斬るというようなことは、常識的に無理な話であろう。-略-」
「見物人」がいて、見せしめにしていたようだ……。
手記から「据えもの斬り」 下「」引用。
「「据えもの斬り」については、このころ日本刀を持っていた将兵の大多数が体験者らしいが、その告白の一例として、鵜野晋太郎が陸軍中尉だった一九四三(昭和18)年当時の一件をその手記「日本刀怨恨譜」から引用しよう。-略-」
ドイツやイタリアとちがって……。下「」引用。
「これまでにも引用した防衛庁防衛研修所戦史室の戦史叢書シリーズ(朝雲新聞社)は、たとえ毒ガスを大量に使った作戦があってもそれについて一切ふれないなど、日本軍の都合の悪いことは可能な限り隠している。これは同じファシズム敗戦国であってもドイツやイタリアなどと違って、日本が日本人自身によって戦争犯罪を追究しなかったことを根本原因とする現象の一つにすぎず、したがって現在の自衛隊は戦前の日本軍の犯罪を無反省のままひきついでいる。」
大宅壮一のルポ。下「」引用。
「このころから、従軍記や戦記として当時かかれたものがにわかに多くなる。それは記者や小説家によるものと、第一線将兵あるいは軍関係者自身による体験記に大別され、前者の一つとして大宅壮一のルポもある。しかしその内容は、日本軍の描写については火野葦平や石川達三に遠く及ばず、中国人民衆についてはほとんど絶無、一緒に行ったジャーナリストや文化人の様子とか、その世話をした将兵の様子にむしろくわしい。取材などほとんどしないし第一線にも出ないので、たまたま後方に弾がとんできたときの体験くらいしか緊迫感もない。たとえ後方を行った場合でも、雑誌発表などが目的でなかった佐々木元勝の手記『野戦郵便旗』-略-の方がはるかに傑出している。-略-」
もくじ
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もくじ
本多勝一・著/朝日新聞社1971年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「「南京の事件」への新たな視点
杭州湾から南京へ攻めのぼる途上、日本軍は中国市民への暴行・虐殺・強姦・放火などを繰り返した。前著『中国の旅』の姉妹篇。」
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「虐殺は杭州湾・上陸直後からおこなわれていだが、検閲によって日本国民にはまったく知らされなかった。(略)日本軍将兵による一般市民への暴行・虐殺・強姦・放火などの様子が報道や作品にあらわれることなど、ありうべからざることであった。いわば「報道の原則」としていいかえるなら、対立する二者のうち中国側の視点が完全に欠落していたことになる。このたび私がたどった杭州湾から南京への道は、その欠落していた半分を四六年ぶりに補うための取材旅行でもあった。」
「反省なき民族」 下「」引用。
「ドイツが(西も東も)ナチ当時の戦争犯罪に今なおこだわり、その残虐行為に時効をみとめず追究・反省しているのにたいして、A級戦犯を戦後も総理にして恥じぬ神経の日本に、小さいとはいえこのていどの仕事であってもよいだろう。よく「日本人は国際感覚が乏しい」といわれるが、それは言葉の問題などではなく、こうした「反省なき民族」の態度こそが核心なのだ。」
火野の作品は平和ではないという。下「」引用。
「『土と兵隊』にせよ『麦と兵隊』にせよ、けっして反戦的なものではなく、苦難をともにする兵隊仲間へのふかい愛情で一貫している。-略-」
日本軍の艦船(杭州湾)。下「」引用。
「近づくにつれて、道ばたや川の中などいたるところに死体が散らばり、ブタやウシの死骸も目についた。鮮血が道路を流れてかたまった跡もあり、海岸の沖には日本軍の艦船がぎしり並んでいた。」
虐殺された一家……。下「」引用。
「一ヵ月余り後になって、兄や他の同村の人たちと一緒に現場を見に行った。三十余人の死体はすっかり腐っていた。みんな泣きながら、肉親たちの死体を片付けた。棺桶もないので、顧さん兄弟は草を編んだ筵(むしろ)に父母の遺体をくるみ、家の焼け跡近くに埋葬した。」
むごいレイプの証言……。
一家全員自殺。下「」引用。
「草巷4号に「戴」という五三歳の主婦がいた。家族がいる家の客間で強姦されたうえ、自宅に放火された。当人を含む九人の家族は、井戸に全員がとびこんで集団自殺をとげた。」
もくじ
小平義雄という元日本兵。下「」引用。
「しかしながら、中国における強姦虐殺の無数の実例のなかで、日本側の証言としてとくに注目すべき一例は、日本への帰国したあとで同じような強姦虐殺を何人もやった小平義雄であろう。今の中年以上の人であれば、戦後まもないころの有名な連続強盗殺人事件犯人として死刑になったこの男の名を忘れはしまい。その小平が、予審著書の中でつぎのように語っている(『新評』一九七一年八月号)。
「上海事変当時、太沽では強姦のちょっとすごいことをやりました。仲間四、五人で支那人の民家へ行って父親を縛りあげて、戸棚の中に入れちまって、姑娘を出せといって出させます。それから関係して真珠を取って来てしまうんです。強盗強姦は日本軍隊につきものですよ。銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で刺して子供を出したりしました。私も五、六人はやっています。わしも相当残酷なことをしたもんです」」
「据えもの百人斬り」 下「」引用。
「これでは、あの武勇伝も実は「据えもの百人斬り」であり、要するに捕虜虐殺競争の一例にすぎなかったことになる。実際問題として、-略-白兵戦のような状況で自分が傷つかずに一○○人も斬るというようなことは、常識的に無理な話であろう。-略-」
「見物人」がいて、見せしめにしていたようだ……。
手記から「据えもの斬り」 下「」引用。
「「据えもの斬り」については、このころ日本刀を持っていた将兵の大多数が体験者らしいが、その告白の一例として、鵜野晋太郎が陸軍中尉だった一九四三(昭和18)年当時の一件をその手記「日本刀怨恨譜」から引用しよう。-略-」
ドイツやイタリアとちがって……。下「」引用。
「これまでにも引用した防衛庁防衛研修所戦史室の戦史叢書シリーズ(朝雲新聞社)は、たとえ毒ガスを大量に使った作戦があってもそれについて一切ふれないなど、日本軍の都合の悪いことは可能な限り隠している。これは同じファシズム敗戦国であってもドイツやイタリアなどと違って、日本が日本人自身によって戦争犯罪を追究しなかったことを根本原因とする現象の一つにすぎず、したがって現在の自衛隊は戦前の日本軍の犯罪を無反省のままひきついでいる。」
大宅壮一のルポ。下「」引用。
「このころから、従軍記や戦記として当時かかれたものがにわかに多くなる。それは記者や小説家によるものと、第一線将兵あるいは軍関係者自身による体験記に大別され、前者の一つとして大宅壮一のルポもある。しかしその内容は、日本軍の描写については火野葦平や石川達三に遠く及ばず、中国人民衆についてはほとんど絶無、一緒に行ったジャーナリストや文化人の様子とか、その世話をした将兵の様子にむしろくわしい。取材などほとんどしないし第一線にも出ないので、たまたま後方に弾がとんできたときの体験くらいしか緊迫感もない。たとえ後方を行った場合でも、雑誌発表などが目的でなかった佐々木元勝の手記『野戦郵便旗』-略-の方がはるかに傑出している。-略-」
もくじ
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もくじ
『あかちゃんが教室にきたよ いのちのえほん 17』
星川ひろ子・写真/
寺田清美、鈴木良東・文/岩崎書店2006年
写真絵本ですね。
--タイトルどおりの絵本です。
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「この写真はうまれたての
あかちゃんです。
なまえは、松田ひな子ちゃん。
ひなちゃんはこれから
1さいになるまで
なんかいか教室に
あそびにきてくれます」
こうして、ひなちゃんが
小学校の教室に
やってくることになりました。」
行動変容などを勉強すると、「赤ちゃんは天才」だと理解できると思う。
遊ばれているようで、赤ちゃんに遊ばれているのが大人ですが、小学生も同様でしょうね……。
むかし赤ちゃんだったんですけどね……。
もくじ
もくじ
もくじ
目次
星川ひろ子・写真/
寺田清美、鈴木良東・文/岩崎書店2006年
写真絵本ですね。
--タイトルどおりの絵本です。
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「この写真はうまれたての
あかちゃんです。
なまえは、松田ひな子ちゃん。
ひなちゃんはこれから
1さいになるまで
なんかいか教室に
あそびにきてくれます」
こうして、ひなちゃんが
小学校の教室に
やってくることになりました。」
行動変容などを勉強すると、「赤ちゃんは天才」だと理解できると思う。
遊ばれているようで、赤ちゃんに遊ばれているのが大人ですが、小学生も同様でしょうね……。
むかし赤ちゃんだったんですけどね……。
もくじ
もくじ
もくじ
目次