磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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南京への道

2010年08月26日 | 読書日記など
『南京への道 朝日ノンフィクション』
   本多勝一・著/朝日新聞社1971年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「「南京の事件」への新たな視点
杭州湾から南京へ攻めのぼる途上、日本軍は中国市民への暴行・虐殺・強姦・放火などを繰り返した。前著『中国の旅』の姉妹篇。」



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「虐殺は杭州湾・上陸直後からおこなわれていだが、検閲によって日本国民にはまったく知らされなかった。(略)日本軍将兵による一般市民への暴行・虐殺・強姦・放火などの様子が報道や作品にあらわれることなど、ありうべからざることであった。いわば「報道の原則」としていいかえるなら、対立する二者のうち中国側の視点が完全に欠落していたことになる。このたび私がたどった杭州湾から南京への道は、その欠落していた半分を四六年ぶりに補うための取材旅行でもあった。」

「反省なき民族」 下「」引用。

「ドイツが(西も東も)ナチ当時の戦争犯罪に今なおこだわり、その残虐行為に時効をみとめず追究・反省しているのにたいして、A級戦犯を戦後も総理にして恥じぬ神経の日本に、小さいとはいえこのていどの仕事であってもよいだろう。よく「日本人は国際感覚が乏しい」といわれるが、それは言葉の問題などではなく、こうした「反省なき民族」の態度こそが核心なのだ。」

火野の作品は平和ではないという。下「」引用。

「『土と兵隊』にせよ『麦と兵隊』にせよ、けっして反戦的なものではなく、苦難をともにする兵隊仲間へのふかい愛情で一貫している。-略-」

日本軍の艦船(杭州湾)。下「」引用。

「近づくにつれて、道ばたや川の中などいたるところに死体が散らばり、ブタやウシの死骸も目についた。鮮血が道路を流れてかたまった跡もあり、海岸の沖には日本軍の艦船がぎしり並んでいた。」

虐殺された一家……。下「」引用。

「一ヵ月余り後になって、兄や他の同村の人たちと一緒に現場を見に行った。三十余人の死体はすっかり腐っていた。みんな泣きながら、肉親たちの死体を片付けた。棺桶もないので、顧さん兄弟は草を編んだ筵(むしろ)に父母の遺体をくるみ、家の焼け跡近くに埋葬した。」

むごいレイプの証言……。

一家全員自殺。下「」引用。

「草巷4号に「戴」という五三歳の主婦がいた。家族がいる家の客間で強姦されたうえ、自宅に放火された。当人を含む九人の家族は、井戸に全員がとびこんで集団自殺をとげた。」

もくじ

小平義雄という元日本兵。下「」引用。

「しかしながら、中国における強姦虐殺の無数の実例のなかで、日本側の証言としてとくに注目すべき一例は、日本への帰国したあとで同じような強姦虐殺を何人もやった小平義雄であろう。今の中年以上の人であれば、戦後まもないころの有名な連続強盗殺人事件犯人として死刑になったこの男の名を忘れはしまい。その小平が、予審著書の中でつぎのように語っている(『新評』一九七一年八月号)。
「上海事変当時、太沽では強姦のちょっとすごいことをやりました。仲間四、五人で支那人の民家へ行って父親を縛りあげて、戸棚の中に入れちまって、姑娘を出せといって出させます。それから関係して真珠を取って来てしまうんです。強盗強姦は日本軍隊につきものですよ。銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で刺して子供を出したりしました。私も五、六人はやっています。わしも相当残酷なことをしたもんです」」

「据えもの百人斬り」 下「」引用。

「これでは、あの武勇伝も実は「据えもの百人斬り」であり、要するに捕虜虐殺競争の一例にすぎなかったことになる。実際問題として、-略-白兵戦のような状況で自分が傷つかずに一○○人も斬るというようなことは、常識的に無理な話であろう。-略-」

「見物人」がいて、見せしめにしていたようだ……。

手記から「据えもの斬り」 下「」引用。

「「据えもの斬り」については、このころ日本刀を持っていた将兵の大多数が体験者らしいが、その告白の一例として、鵜野晋太郎が陸軍中尉だった一九四三(昭和18)年当時の一件をその手記「日本刀怨恨譜」から引用しよう。-略-」

ドイツやイタリアとちがって……。下「」引用。

「これまでにも引用した防衛庁防衛研修所戦史室の戦史叢書シリーズ(朝雲新聞社)は、たとえ毒ガスを大量に使った作戦があってもそれについて一切ふれないなど、日本軍の都合の悪いことは可能な限り隠している。これは同じファシズム敗戦国であってもドイツやイタリアなどと違って、日本が日本人自身によって戦争犯罪を追究しなかったことを根本原因とする現象の一つにすぎず、したがって現在の自衛隊は戦前の日本軍の犯罪を無反省のままひきついでいる。」

大宅壮一のルポ。下「」引用。

「このころから、従軍記や戦記として当時かかれたものがにわかに多くなる。それは記者や小説家によるものと、第一線将兵あるいは軍関係者自身による体験記に大別され、前者の一つとして大宅壮一のルポもある。しかしその内容は、日本軍の描写については火野葦平や石川達三に遠く及ばず、中国人民衆についてはほとんど絶無、一緒に行ったジャーナリストや文化人の様子とか、その世話をした将兵の様子にむしろくわしい。取材などほとんどしないし第一線にも出ないので、たまたま後方に弾がとんできたときの体験くらいしか緊迫感もない。たとえ後方を行った場合でも、雑誌発表などが目的でなかった佐々木元勝の手記『野戦郵便旗』-略-の方がはるかに傑出している。-略-」






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