磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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恐怖の80日 水爆搭載機墜落事件

2007年12月10日 | 読書日記など
『恐怖の80日 水爆搭載機墜落事件』
     C・モリス(著)/南井慶二(訳)/
        鹿島研究所出版会1967年

1966年1月17日、スペイン南部の小村パロマレス。
アメリカ空軍のB52爆撃機と油槽機との衝突・爆発・炎上。
墜落したB52には、4発の「水爆」が積んであった。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「最近八年間に、アメリカ空軍の核兵器事故がいま分かっているだけで十三件も起っているのだということを忘れてはならない。きっとまた新しい惨事が起るだろう。あの巨大な爆撃機が世界各地の戦略空軍司令部の基地から基地へと離着陸している限り、またまだ事故は起るのにきまっている。
      著者」

著者は1938年生れの英国人記者。
スペイン在住の外国通信記者。

パロマレスの野菜は、「放射能にやられている」という噂で、売れず。
漁業もまた同様であったという。

政治も影響されたという。下「」引用。

「他方、墜落事件による政治的「死の灰」は世界中の全地域に雨と降り注いだ。
 フィリピンでは、外相が、核爆撃機および核動力艦艇が同国の基地を使用する権利をアメリカに与えている協定の改定を要求した。
 ボンでは、西ドイツ議会が科学問題相ゲルハルト・シュトルテンバーグから、スペインからの食料輸入は厳密な放射能検査をするという確約を取りつけた。
 オランダでは、平和主義者A・J・ブルッゲマンが核爆弾搭載機の同国上空飛行を禁止せよと要求した。」

三発目が放射性物質をまきちらかしていた。下「」引用。

「三つめの爆弾は基地のうしろの丘の間に落ちていたのだ。しかも私はそれが落ちた場所を発見した時、そのTNT火薬もまた衝突のために爆発していたのに気がついたのである。だからこそ、実際の墜落以来こんなに何週間もの長い間、あんなにたくさん掘り続けてきたのだ!プルトニウムが広大な地域にわたって飛び散ってしまったことは明白である。」

行方不明の四発目めはどうなったのか? 下「」引用。

「スペインの新聞が「アギラスの漁師某の網に不思議な黒い箱が一つかかった」とすっぱ抜いたからである。」

CURVという水中ロボットで水爆を探したという。

汚染物質。下「」引用。

「三月二十四日の木曜日には、パロマレスの汚染土を詰めた正確なところ四八一○本の樽の残り全部を貨物船ボイス豪に積みこみ終って、この船はその日の夕方に出航、チャールストンへの旅路についた。」

しかし、こんなことも書かれてありました。下「」引用。

「あの砂あらしの地方一帯に未知の量のプルトニウム239とウラニウム235がまき散らされ、検出を逃れたということだけは、議論の余地のない事実である。」





水爆が消えた〈核積載米機墜落事件〉


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