龍の声

龍の声は、天の声

「法華三部経のあらましと要点②」

2020-02-09 19:16:57 | 日本

ふつうの世間においても、偉大なものにたいして素直な感動をおぼえる人こそ大成することは、おおくの実例がそれを示しています。感動や感激がなく、実利一点張りでものごとにたちむかう人は、こぢんまりした成功や、小さく安定した地位を得ることはあっても、いわゆる大物になることはできません。歴史にのこるような仕事をすることはできません。ましてや信仰生活においてをやです。仏の教えは、偉大なるもののなかでも、もっとも偉大なるものです。その仏の教えを聞いて素直に感動し、素直に信ずるようならば、その人とはかならず無限に高められる要因をもつ人です。


〈一念随喜〉を育てるものはなにか……それは供養と修行です。
供養というのは、仏さまとその教えにたいする感謝のまごころをささげ、礼拝その他の行によってそのまごころをあらわすことです。

修行とは、どんなことをすればよいのか……。
第一に、教えを受持していく決意を念々に新たにすること(受持)
第二に、教えをくりかえして学ぶこと(読)
第三に、それを誦んじることができるほど心に植えつけること(誦)
第四に、ひとのために解説してあげること(解説)
第五に、その教えが世にひろまるように、あらゆる努力をすること(書写)


すべてのものごとが〈空〉であるということは、この世に何も存在しない、無であるということではありません。因と縁の和合によってたしかに存在しているのです。ただ永遠不変で固定したものはなにもないということです。ですから、よい現象を望むならば、よい因となりよい縁となればいいのです。


すべてのものごとは、本来固定した差別のない、平等で大調和しているものなのです。つまり現象に善も悪もないのです。しかし凡夫にはそうは見えずに、差別でものを見て、不善の心を起こして苦しみを味わうのです。つまり、差別でものを見て、苦しんでいるのは凡夫のまちがいであって、本来すべてのものごとすべての存在は、差別もなく、平等で大調和したものなのです。別のことばでいえば、すべてのものは、あるべくしてあるのです。


禅定にはいったかのように動かないものには、われわれの人生を変える力がありません。それを説く人があり、それが人間の心のなかへ動きだしてきたとき、はじめて人間世界の救いとなるのです。だからこそ、究極の真理そのものである多宝如来が、その真理を説いてそれに動きをあたえるはたらきをなさったお釈迦さまを、ほめたたえられるのです。ということはつまり、〈究極の真理は、それが説かれ、おおくの人に理解され、活用されることを望んでいる〉。


虚空にのぼってこそ到達しうる境地です。
その悟りにたっしたら、こんどはまた現実にたちもどって、その悟りをこの世で実践にうつし、またおおくの人びとにおよぼしていかなければ、人類全体の救いは実現せず、したがって自分個人の救いも完成されません。


人間の本質は仏性である〉という大事実が明らかにされました。とすれば、当然 「自分の本質は仏性である」と悟るのが、ほんとうの人間として完成する第一の道であり、最高の道であることになる。

※人間は神の子である。











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