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「サムライ精神を復活せよ!」

2019-04-12 06:14:37 | 日本

「サムライ精神を復活せよ!」  荒谷 卓著 まとめ


◎ポストグローバル資本主義を持つ日本人

・3・11東日本大震災において、世界の人々が目の当たりにした「共助文化」。日本では、「神武建国以来「一つの家のような国家の創造」という考え方がある。この家族的共助文化が長い年月をかけて「世のため人のため」という社会倫理に昇華し、無自覚で「思いやり」を発揮できるまでに進化した。

・世界の人々が尊敬する「武士道精神」は、さらに自己犠牲もいとわず社会に貢献する崇高な精神である。競争で疲弊した人々が未来に夢を持てる新しい世界を創造するために、そのような崇高な精神を必要としている。

・自然界に存在する以上、人に優劣や無価値な存在などあるはずがない。一人ひとり存在すべき場所と果たすべき役割がある。

・日本人の強さは、個人の能力以上に、集団化したときに発揮される協調力にある。他者を犠牲にするのではなく、互いに助け合いながら粘り強く諦めない思いやりの力である。さらに先祖に感謝し、歴史と一体化する伝統の強さである。

・共同体として統一的な力を発揮しようという集団力こそが、日本人が培ってきた社会力である。

・生きる人も亡くなった人の霊も同じ一つの宇宙に共存している。エネルギーは保存されるから、エネルギー体としての人間が死によって突然、無に帰することはない。つまり、人間も生も死も宇宙全体のエネルギーノ循環・還元トイエル。
・人間の活動は意志よって引き起こされる。その中でも、神に向かって自分の意思を宣言する「祈り」は、人が創り出す最も強い意志エネルギーである。

・ゲームには「死のストレス」が無い。実戦の場合、殺し合いという極度の心理的プレッシャーに強い方が勝つ。自己の死だけでなく、他者の死も含めて、それを目の当たりにしても、正常に判断し、適切な行動ができる精神状態を維持できる心の強さを持つ人でなくては、本来、兵士や武人は務まらない。体力、技能面で優れていても、精神的な強さがなくては、実戦では何の意味もない。

・武道が求めるのは、外に現れる強さの進展ではなく、内省による悟りの進展である。相手がどれほど強者であろうが、雨が降ろうが風が吹こうが、夜であれ昼であれ、怪我をしようが、しよまいが、一切の外的要因に関りない。いつ如何なる時にも発揚されなくてはならない。「待ったなし」の強さこそが神の武であり、武の真の目標なのである。歴史上の武道の名人や大家がたどり着いた強さは、「和する強さ」であり、「助け合う強さ」であった。人と人が強さを競い合うための武ではなく、和する社会の実現と保全のための武の探求したのである。日本人は、武力に限らず、いろいろな力を競争でなく、和して助け合う協心努力によって培われてきた。つまり、武人の探求した強さは、日本人の強さを特徴的に表しているのである。それは、みんなのためなら頑張れる強さであり、粘り強くしなやかな「和する強さ」である。


・武士道精神の根幹は、いついかなる状態にあっても「大丈夫」の気概を体現できることである。

・個人を単位とした場合、国家や地方自治体の代議士や議員、あるいは、官僚や公務員という相互に意見や心情を知りえない人達によって、すべての社会秩序が作られることになる。そでなくて、常に意見を交換し心情を知りえる小さな共同体が単位となって、共に生きて生活する秩序を自分たちで作って運営するのである。

・私たちが守るべき日本は、主権、国民、領土などといった近代に作られた抽象的概念ではなく、文化、伝統といった日本が日本人たる実体であり、自分が日本人になることなくして、日本を守ることなどできないからである。









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