龍の声

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「褒めて育てるよりやる気を引き出す魔法の方法]

2018-08-05 06:18:41 | 日本

篠原 信さんが「褒めて育てるよりやる気を引き出す魔法の方法]について掲載している。
以下、要約し記す。



◎人は“驚かせたい生き物”?

相手に対して、これくらいできるはず、これくらいはしてほしいと「期待」すると動いてくれなくなり、「自分のためにそんなに動いてくれるはずがない」「指示の範囲でやってくれるだけで御の字」と、「期待しない」方が、私を驚かそうと頑張ってくれる、ということだ。
 
この現象はおそらく、「人間は驚かすのが大好き」ということで説明できるのではないだろうか。
 
褒めて育てようとする場合、無言のうちに、「この水準くらいは達成できる人間に育ってほしい」という期待が相手に伝わってしまう。その期待する水準とは、いわば「ノルマ」だ。そのノルマを達成しない限り、上司、あるいは親を驚かすことはできないということを、部下や子どもはすぐ察してしまう。そして人間は誰しも、初心者。初心者ができることなんて、たかが知れている。そうなると、上司や親が期待する水準に達するのは、遠い将来のように感じられて、気が遠くなる。それまで、相手が驚きもしない業務をこなし続けるなんてつまらない、という気持ちになるのだろう。

ところが「期待しない」と話が違ってくる。「え? まさか?」という驚きの反応を示してくれるから、つい楽しくなる。すると、部下も子どもも、ナイショでこっそり努力して、ビックリさせてやろうとワクワクし出す。「どう? まさかここまでとは思わなかったでしょう! 驚いた?」。そして実際に驚くと、もっと努力して驚かせてやろうともくろむ。そして、努力し始めたこと自体に驚いてくれるから、もっと努力してやろうとますます努力する。

「驚かす」というのは、赤ちゃんの頃から備えている、根源的な喜びなのかもしれない。赤ちゃんはハイハイ、つかまり立ち、直立、伝い歩き、そして歩くという過程を、教えられもせずに、試行錯誤の中でマスターしていく。親はそれに驚嘆する。「教えもしないのに、どうして歩けるようになるのだろう?」と。
 
なぜ親は驚くのだろう? 教えないからだ。というか、教えられないからだ。赤ちゃんは言葉が通じない。右足の次は左足を出すんだよ、と言ったって、そもそも右と左の区別がつかない。仕方ないから見守るしかない。見守っているだけなのに、次々とできることを増やしていき、マスターしていく。だから、親は驚かずにいられないのだろう。
 
ところが、子どもが言葉を話すようになり、会話が成立するようになると、どうも様子が違ってくる。「ああしたほうがいいんじゃない? こうしたほうが便利だよ」と、親が先回りして言葉で説明すると、子どもはとても嫌がる。いわゆるイヤイヤ期には、親が先回りすることをひどく嫌がる。「魔の2歳児」とかひどい言われようだが、私は少し違う見方をしている。
 
子どもは大きくなっても親を驚かせたいのだ。教えられもしないのに立ち、歩くと「立った! 立った!」「歩いた! いま、歩いたよ!」と驚いてくれた、あの感動を味わいたいのだ。なのに「今日はおでかけするんだから、靴下はいて、靴はいて」と先回りすると、親を驚かすことはできない。先回りするということは、親はもっとすごい水準を自分に求めているということが暗に伝わるからだ。
 
だから、やり方をちょっと変えてみよう。「こないだはできたけど、今日は難しいかな」という言い方にしてみると、「できるよ」と言って、やってみせてくれる。「おおー! まさか今日もやれるとは! やるじゃん!」と驚くと、嬉しそうにハイタッチ。

「そういえば、最近はお手伝いしなくても自分で着替えてるね。手伝わなくて大丈夫なの?」と聞くと、「もう3さいだもんね」。その返事に「おおー!」と驚くと得意げ。そうなると、3歳だからもう自分で着替えてみせる、という意識が根づく。たまに不安な頼りない気持ちになるときにだけ甘えられるようフォローをすれば、「いや、自分でやるから!」と、自立するようになる。


◎驚かせたいのは大人も同じ
 
以上は子どもの心の動きだが、これは大人になってもずっと存在し続ける心象のように思う。上司が「まさか」という顔をしたら、嬉しくならないだろうか。得意な気分にならないだろうか。褒められるより何より、驚かせることができると「してやったり!」という気分になるものだ。
 
だから私は、期待しないことにしている。期待すると、期待の水準に達しない事に不満を持ち、その不満が部下に伝わり、やる気をなくしてしまう。期待しなければ、ほんの少し意外なことをしてくれただけで「え? まさか?」と素直に驚ける。驚くと、勝手に成長してくれる。しかも、こっちを驚かせよう、喜ばせようとするわけだから、こちらの考えを読み取り、その先を行こうとするので、努力の方向に間違いがない。
 
世の親たち、特にお母さんたちが、赤ちゃんに対して期待せず、むしろ祈るような気持ちで見守り、何かひとつできることが増えると驚き、喜ぶ。あの接し方は、理想の指導スタイルなのではないかと私は考えている。変に、こちらの期待していることは分かっているだろ、だったらもうちょっと頑張ってくれよ、と、相手の忖度の能力と実行力に期待を持つと、いらだち、怒鳴りたくなり、そしてやる気を奪ってしまう。
 
赤ちゃんに対する母親の接し方、つまり、期待せず、祈るような気持ちで見守り、何かひとつできたことがあったら驚き、喜ぶ。その姿は、いくつになっても(おそらくは介護の場面になっても)、人間のやる気を促すパワーなのではないだろうか。
 
褒めるよりは驚こう。それだけで、私も相手もハッピーになれるのだから。