夜泣き屋_ブログ店

僕がいなくなったときに、ウチのチビたちが楽しめるような、「ウチのチビたちのためだけの千夜物語」を目指します

当たり前のことができない人

2011-04-29 22:10:29 | めざせ!自然体、
どうも、私は、【当たり前のことが肌感覚でわからない人】であるらしい。

私が中学生の頃、まったく理解できなかったこと。

「おう、一緒にトイレ行こうぜ。」

「今日、Tシャツ買いに行くけん、付き合ってよ。」

この二つ、まったく理解できませんでした。

『大して行きたくもないのに、トイレなんか行けるか。』

『オレ、熟考に入ったら、時間かかるし、誰かに合わせるのなんか、時間の無駄やんか。』

・・・って、ずっと思ってました。

そういうわけで、友達を作ろうとすればするほど、【強烈な仲間ハズシ】にあってました。

それでも、友達を作ろうとしたのは、きっと、僕が、【我慢できないくらい寂しかったから】だと思います。


友達が、欲しかった僕は、そのとき、どうしたかと言うと、

【その頃、一番人気のあった友達の、『口癖』から『行動』から、全部真似した】

・・・っていうことをやりました。

あとから、知ったのですが、「学ぶ」の語源は「まねる」・・・らしいですね。

「わかる」の語源は、「分ける」なんだとか。
※(わかってないのを『未分化』って言ったりしますよね。)

がんばって、友達ができるようになったあとに、わかったんです。

「誰かに合わせるためにつかう【無駄な時間】は、【本当は大切な時間】なんだ。」

って。

それが、できるようになった10年後に、ある先輩から言われた言葉。

「おう、R、オマエ、知っとるか、【思いやりをはかる単位】は、時間の単位と一緒なんぞ。・・・【誰かをどれくらい思いやったか】は、【その人のために、どんだけ時間を費やしたか】で計るんぞ。」

・・・って。

とっても、わかる気がします。

・・・だから、なのかもしれんけど、「当たり前のことが、わからない、できない人」を【KY】とか言って、その存在すらないことにしておいて、なんとなく落ち着いていることに、【なんとなく嫌な感じ】をもって、なんだか、【KYな子】を贔屓してしまう私です。

つい最近も、

外で食事をしたときに、

自分の食べ物が来たら、すぐに食べだして、【みんなの食べ物がそろってから食べるように】ってことで、怒られました。

・・・そういうことがいちいちわからない人なんですよ。。。僕は。。

【人間関係】について、理屈っぽく語るのは、実は、自然にできない、考えないとできないことの裏返しなんだと、自分では思ってます。





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