夜泣き屋_ブログ店

僕がいなくなったときに、ウチのチビたちが楽しめるような、「ウチのチビたちのためだけの千夜物語」を目指します

オッサン従兄弟に"乾杯"

2009-02-26 22:05:28 | Weblog
40代半ばのオッサンになった従兄弟が、嫁をもらうことになった。
なんと15才も年下なんだと。
「連邦もなかなかやるもんだな。」
。。。ほんま、すごい。
で、親戚が集まって、酒をガンガン干しているんだと。
呼ばれたけど、仕事があってどうしても行けない。
祝ってあげたいけど、ごめん。

で、今、一仕事、一区切りついたので、ビールをちょっと口に含みつつ、お祝いの言葉を勝手に。

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ぬぐっても、消しても、ほとばしってくるような『情熱』は
やがてゆっくり冷めていき、
あんなに、胸を躍らせるように美しかった髪や体や顔も
やがてゆっくり崩れていく。

でも、たとえ、そうなっていっても、【二人で過ごした時間】は
決して壊れることがない。

二人で過ごした時間は、誰にも奪えない。

振り向いたときに、いつでも、二人で過ごした時間が、そこにある。

だから・・・あんな時もあったね。と、笑ってふり返られる時間をつくる努力をいつでも怠らないこと。

二人で過ごした時間は、消えていかない。
だから、二人の時間を大切にするってこと。

がんばれ!15歳も年下の嫁をゲッチューしちゃった、おっさんになった従兄弟!

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ep198 「どちらでもいいようにしておくこと」

2009-02-21 09:06:33 | めざせ!自然体、
その1['09_02_21]
「どちらでもいいようにしておくこと。」

どちらにも対応できるようにしておくことは大切なこと。

「どうでもいい」のと、「どちらでもいい」のは、まったく違う。

例えて言うなら。。。

「今日は、お客さんが来るかもしれないし、来ないかもしれない。」

って、言うときに、「もう!どちらでもいいから【来る】のか【来ない】のか、ハッキリさせてよ!」って言うのは、ちょっと自然体では、ないような気がする。

自然体でいくなら、

「お客が来ても」「お客が来なくても」どちらでもいいようにしておくことが大切。

・・・つまり、この場合は、【お客は来る】ことを前提に作業を進めておけばいいというわけ。


・・・ちょっと、俺、自然体っぽくね?(笑)

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ep197 【1年戦争将棋】

2009-02-11 21:48:50 | Weblog
【1年戦争将棋】


今日は、午後、少し暖かくなったので、【別荘】こと、自転車小屋に将棋盤を持ち込んでシュンタと将棋です。

最近まで、【別荘】のBGMは、「北の国からのサントラ」と相場が決まっていたのですが、この暖かさで「北の国からサントラ」はないだろ~、って感じだったので、「MSイグルーのサントラ」をBGMにして将棋をしてみました。

これが!!ヤバイヤバイヤバイ!!

攻めていくときに、例のオープニングテーマが流れたり、攻め込まれたときに、悲しい音楽が流れたり、もうこれは普通の将棋ではなくて、「一年戦争将棋」ですばい!!

歩が、オッゴやボールに見えるし、
角がRX78やゲルググに見えるし、
飛車は、ソーラーレイや、ソーラーシステムに見えてくる。

しかも、銀や金で守りの弱い部分が「Nフィールド」に見えてくるから不思議です!

「MSイグルーのサントラ」をBGMにした【将棋】

1度やってみるとはまりますよ。きっと。


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ep196 「幸せな死」

2009-02-08 01:58:42 | Weblog
雪が、ザックリと降った次の日。

あるおばあちゃんのお葬式に出かけた。

親せきが一緒に乗るタクシーの都合で、早めに着くと、ウチよりさらに山の中のそのおばあちゃんの家は、深い、真っ白い雪に覆われていた。

99歳になるそのおばあちゃんの孫は、40をとうに超えている。私の従兄弟である。

その孫が、雪に埋もれた庭と屋根の雪をかいていた。

お葬式に来るのは、近所のお年寄りである。

焼香の時に、屋根から雪の塊でも落ちて来ようものなら、また、別の葬式をあげなくてはならなくなる。喪主でもあるその従兄弟は、少ない時間をけずって精一杯、雪を集めていた。


葬式、出棺、火葬、その後の法事。

白い雪に覆われた景色に溶け込んだような、静けさの中で、誰一人として泣きじゃくる人もいない。みんな、口々に、

「おばあちゃん、ありがとうね。」

「おばあちゃん、ありがとうね。」

と、あらん限りの感謝の言葉を棺になげかける。

おばあちゃんは、99歳。


白寿のお祝いの後、「100歳になる」のを楽しみにしながら、急になくなった。体調を壊したあと、入院した先の病院でも、明るい笑顔を忘れず、看護士さんたちにかわいがられて、近所のおばちゃんたちにも慕われながら、なくなっていった。


【・・・誰も困らない。】

・・・そう、そのおばあちゃんが亡くなっても、誰も困らない。

明治に生まれたそのおばあちゃんは、明治・大正・昭和・平成と、まさに激動の時代において、4人の子供を立派に育て上げ、たくさんの孫に慕われて、その上に、近所の人にも頼りにされて、立派に自分の役目を果たした。

「しなければならないこと」をすべて成して、そして、幸せにも天寿を全うしたおばあちゃんの、幸せに満ちたお葬式。

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「・・・なんで死んだの~!!」
「残された子供はどうするの~!!」
・・・と、棺にすがる者はいない。


みんな、

「ありがとう。」

「おばあちゃん、ありがとうね。」

って、感謝しながら、迎えるお葬式。

正直に言って、「うらやましい」と思いました。

長生きは、するもんだと。。。

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ep196 「かわいそうな我が家の子供たち」

2009-02-05 22:54:31 | 教えちゃる
【かわいそうな家の子供たち】
 私の友達からメールをもらいました。
「ウチの子(小学校高学年)がギターを演奏している様子をインターネットにアップしたので、見て欲しい。」
という内容でした。言われたURLにアクセスすると、その子がステージでギターをソロ演奏している動画でした。
 たしか6年生だったと思うのですが、小6とは思えないほどの、大人顔負けのうまさでした。
「・・・すごいなぁ~。」
っと思いながら、我が家のテレビに目をやると、ファイナルファンタジーX(10)のコンティニュー画面になっていました。プレイ時間が60時間と出ています。
「60時間もゲームしてんのか~。・・・そういや、あの友達んちは、ゲームはさせない主義って言ってたなぁ~。テレビゲームは与えずに、エレキギターを与えたんだなぁ~。」
 「友達がみんな持っている、ウチの子だけゲームを持っていないとかわいそう。」っていう理由で、ゲームを買い与えました。そして、カードゲームも買い与えました。ウチの子は、与えられたカードゲームとテレビゲームにたくさんの時間を費やしました。

 そして、今、ウチの子の中に何が残ったのでしょう。これに携帯を加えれば、「カードゲーム」と「テレビゲーム」と「携帯のメール」に多くの時間を費やしていたことでしょう。
 そして、何が残るのか。

 何も残りはしません。

 お金をどこにつぎ込むかというと、えげつない話になりますが、そうではなくて、子供の時間を何につかわせるか・・・という話です。

「夏目漱石の【坊ちゃん】など、小学生の頃に触させておきたい作品」「スポーツチームに入って、健康な体づくりと、チームワークをはじめとする人間関係をつくる力や、忍耐力や元気を養う練習」「ピアノやギターなど、音楽を楽しんだり演奏したりする技能や心情」「絵を描いたり楽しんだりする力」「外国語を話す能力」「武道を通しての心身の鍛錬」「料理を作ったり、工夫したりする楽しみ」・・・などなど、私の家の子供には、何も与えられていないという現実。

 かわいそうなのは、【ゲームを持っていないこと】なのか、それとも、【何にも残らないことに『子供の時間』を浪費させる習慣をつけさせてしまったこと】なのか。

・・・ちょっと後悔している私であります。

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