デエタラボッチは第12惑星である

この惑星は木星より少し大きく、超楕円軌道を持ち、冥王星の公転軌道あたりまで近づいている筈、近づくと地軸大移動が起こる

明石原人と悲劇の学者、直良信夫

2004-08-15 01:21:56 | 人類
                        rokunowa
 東京江古田の20万年前の稲、については前回資料が不明で記憶に頼って書きました。その後、出典が明らかになったのでもう一度取り上げます。


 発見者はなんと、明石原人の人骨発見者の直良信夫教授でした。こうなると彼は悲劇の学者だったわけです。明石原人は、当時、縄文時代以前には人類は日本にいないと思いこんでいた日本の学会では認められなかったのです。しかも骨は東京大空襲で燃えてなくなり、石膏の模型しか残っていません。今、彼が、東京中野区江古田3丁目で発見した稲も無視されています。
 この稲は、昭和29年、井戸掘りの際、江古田植物化石層から発見されました。
 この土地は洪積世最末期の第一泥炭層からの発見で、円粒状軽石と火山灰層の中に埋もれていた化石稲であったといいます。
 私はこの話を『稲はどこから来たか』李家正文 著...木耳社刊...で読みましたが
直良信夫教授は『日本古代農業発達史』昭和31年、さえら書房刊で詳述しているそうです。
 なお、洪積世は60万年前から1万年前を言いますから、この稲は20万年前でないとしても中国の稲よりは古いものでしょう。

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