雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

新規投稿

2010-12-19 | 雑記
 このところ、なかなか投稿できないのでケータイからでも投稿してやろうと試みるのだが、数行打つと親指がだるくなる。それと、自分は基本的に長文を書いていると当初の目論見とは違う方向に行ってしまうことが多々あり、「あれ? さっきまでナニ書いていたっけか?」と読み直すこと甚だしく、まったくもって画面をスクロールさせるのが面倒くさい。そうして意味不明な繋がりをまとめ直すのも厄介なことこの上ない。これがパソ画面ならある程度ズラッと見渡せるのでなんとかなる。しかしながらその性質はハードが違えど変わることもあるはずもなく、ただただ徒然と書くばかりである。
 そこにもってきて久しぶりの新規投稿ともなると、いったいナニをかけばいいのやら? マスでも掻いてお茶を濁すばかりである。いや、そればっかりでもないのだが、そればっかりできればそれはそれで、またよしであるし、股もよろし。
 
「書く」という作業能力が、ちょっと追いやられている感じがする。こういうのはやっぱり、続けていなければ衰えるものなのだと、つくづく実感せられる。というか、「書く」ことだけではなく、「読む」や「聞く」、「見る」などの作業においても然り、かと思う。
 もちろん、日常生活においてのそれらには特に支障をもたないが、日常から切り離された具合の、非日常性を伴なった特殊な感性を強いられる物事というものは、やはり「鈍り」が出てきてしまう。
 そりゃ別に、「そんなの気にせずに、書けばいいし、読めばいいし、聞けばいいし、見ればいいじゃん」と言われればそれまでの話なのだが、どういった性質なのか、自分はどうもそういうのを蔑ろにできないようで、「さらっと流す」的なことができない。
 具体的に言えば、なんのスジも見つからないのに文章を駄々書きするだとか(いや、今まさにソレだけど)、漫画や小説を区切りの悪いところでやめてしまうとか、車の中で聞いている最中のCDを曲の途中で替えるだとか、映画を途中から観るだとか(そしてもちろん、エンドロール途中で席を立つなどもってのほか)そんな性質であるので、実際、自分自身でも面倒くさいこともある。
 が、しかし。そのぶん、何事にも気を入れて取り組んでいるのでそれらに対しての感慨等は後々までもかなり残っているといえる。
 それが、このところ、思うようにいかない、というか、鈍ってきていると実感せらるので、それらの物事に取り組むことに躊躇してしまう。というより、なんだか、めんどくさい。
 しかしそれでも、欲求はある。

 だからこうして、ぐだぐだながらも新規投稿を試みた次第である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マリアビートル/伊坂 幸太郎 | トップ | 本当はちがうんだ日記/穂村 弘 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

雑記」カテゴリの最新記事