雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

休職者の憂鬱

2010-02-12 | 雑記
 同じマンションに、年の頃50前後と思われる独身の男が居る。この男、特に何か騒動を起こすような突飛な変質性はないのだが、静かな変質性を持っている。端的に表現するならば「暗い」。ついでに我が妻曰く「気持ち悪い」。
 仮に、「О家さん」としておこう。いや、勘違いしてはいけない。決してマンションの大家さんではない。名前がもう「О家」なのだ。その辺も静かな変質性の一つだ。それは彼のせいではないにしろ。
 さて、このО家さん。もう十数年、同じマンションで暮らしているが、ほとんど口を利いたことはない。こちらから挨拶しても、ほぼ目を合わせず頭を下げる程度だ。そんな彼に、我が妻曰く「気持ち悪い」「結婚は無理だ」。要するに、女性からはあまり好かれないタイプらしい。ついでに言えば、私もあまり接触したくないタイプなのである。
 しかし何故か、私とこのО家さんの行動はよく重なる。妻曰く「似たもの同志」。……こら。

 午前中、ハローワークへ足を運んだ。休職してから早、二週間になろうとしている。とりあえず、一ヶ月半の休職期間中、何もしないというのもなんとなく極まりが悪い。また、あわよくば復職してからも小遣い程度に稼げるようなバイトはないものか? と、ちょくちょく足を運んでいるのだが、そうそうウマい仕事はない。今日も一通り仕事情報を眺め、益のない時間を過ごして施設を出たところ、向こうからО家さんが歩いてくるのが見えた。私は咄嗟に目を逸らし、彼とは反対の方へ歩いて行った。彼は気付いただろうが、私はおかまいなしにスタスタとその場を去った。
「んだよ! 鬱陶しいな! なんでこんなとこで会うんだよ!」
 そんな罵りを心中叫びつつ、歩いた。ふと、妻の声が聴こえた、「似たもの同志」。……よせ。 
 しかし彼も、ハローワークに群がる就職前線異常アリの一人なのだな……そう思えば、まあ、寛大な心になれなくもない。だって私は、ただの休職者なわけであって、失業者なわけではないのだから。(上から目線)

 そこからしばらく歩いた商店街の中に、小さなコーヒーショップがある。この店へは大概、日曜日に顔を出すのだが、現在「毎日が日曜日」みたいなものだ。丁度コーヒー豆も切れそうだったので寄ってみた。
 店内に入ると、店の奥さんが開口一番、「あれー、今日お休みですか?」と訊いてきた。私も「ええ」と一言でやめておけばいいものを、ついつい「このところ毎日がお休みです」などと現状を喋ってしまっていた。
 すると奥さん「なんか、わたし、余計なこと訊いちゃいましたね」と申し訳なさそうな顔をするので、「いやいやいや、全然。ただの休職中なんですから」と、その辺はハッキリさせとこうぜ、的なことを念押しして、マンデリン200gを購入して店を後にした。

 その後、図書館に寄ってあれやこれやと物色していたらお昼前になったので帰ることにした。テクテクと自宅マンション方面へ歩いていると、嗚呼、何故か! 目の前に彼が、О家さんが歩いているではないかっ! 
 些か歩調を緩めたものの、行く先は同じである。そしてあろうことか、О家さん。さっさと行けばいいのに、私の姿を認めてエレベーターを待っていてくれたりしている。実はこの男、妻にはすこぶる愛想悪いのだが、私には何故だか妙に気を遣っている節があったりする。妻曰く「ホモ?」……刺すぞ、こら。
 そこはかとない状況ではあるが、一応「あ、どうも」などと礼を述べると、いつもは寡黙な彼が話しかけてきた。
「さっき、ハローワークで見かけたけど、無職なの?」
 チッ! やはり気付かれていたか。
「いやー、ちょっと会社が休業中で。その間なにかいいバイトでもないかなーって」
 彼は三階で降りるので私は早口になって現状を伝える。
「俺も、去年は七ヶ月無職だったよ」
 おい、ちょっと待て。「も」って。
 私はあくまで休職中なだけであって、無職ではないのです。と、伝えようとするも、エレベーターは三階に到着。
「じゃあ」そう言ってО家さんは去っていった。

 ちょっと待て、ということは、これからはハローワークに行ったりすると奴に会う可能性が大いにあるということか? それはなんとも、鬱陶しいことこのうえない。嗚呼、まったくもって、世の中とはままならないものだ。
 打ちひしがれながら、妻に《ハローワークでO家さんに会った》とメールしたら、《やっぱ気が合うな》と返ってきた。……もうどうにでもなれ。
 この際、もう何でもいいからバイト決めて、ハローワークには行かないでおこう! そんな決意を固めた夕刻、会社から電話が掛かってきた。
「来週から仕事始められそうな具合」と。
 
 社会に出てこの方、「仕事が出来る」と思って喜びを覚えたのは、今日が初めてである。
 
コメント
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