一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
できない
今日はなんだかいまいちペースがつかみづらい日でした。最近忙しかったから疲れがたまっているのか。
明日はひさしぶりに休みます。
言えることは忙しいからとどんどん頑張ると急にエネルギーダウンになります。だからペース配分が必要なのです。
もともとあまりできないから始める方がいいのです。できるからするとできなかった時に慌てます。
できないからだとどんどんすることに喜びをおぼえるのです。
できない=謙虚に頑張る
それの方が自分に合っています。だから今の伸びきった形は本来の自分ではないのです。
英気をやしなってまた明後日から頑張ります。
明日はひさしぶりに休みます。
言えることは忙しいからとどんどん頑張ると急にエネルギーダウンになります。だからペース配分が必要なのです。
もともとあまりできないから始める方がいいのです。できるからするとできなかった時に慌てます。
できないからだとどんどんすることに喜びをおぼえるのです。
できない=謙虚に頑張る
それの方が自分に合っています。だから今の伸びきった形は本来の自分ではないのです。
英気をやしなってまた明後日から頑張ります。
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傑作
最近は頭の回転の速さを感じます。どこか去年よりも一歩早く動けているように感じるのです。
そのぶん、体力的にはイケイケの動きはできないようにも感じています。自分なりの一番を模索中です。
人はあの世に旅立つ瞬間まで生きようとします。余命をつげられている人でも免許更新に行かなくてはとか、歩くことができなくなっても靴を置いといてくれとか。
最後の最後までもしかしたら治るのではないかという思いをすてないのが人間なのです。
死を自覚することは現実であり、大切なことかもしれませんが死と向き合うよりも最後まで生に執着するのも本当は正しいのかもしれません。
この世の生き方に正しい答えはありません。そして理想通りの人生を全うできる人なんてこの世にはいないと私は確信しています。
思い通りにならないなか、不器用に最後まで生きようとする。
それのどこがいけないのでしょう。
奇麗でないからこそ奇麗なのです。
自分という人生のキャンパスは何度も塗りなおしてようやく完成した世界に一つしかない傑作だと思います。
そのぶん、体力的にはイケイケの動きはできないようにも感じています。自分なりの一番を模索中です。
人はあの世に旅立つ瞬間まで生きようとします。余命をつげられている人でも免許更新に行かなくてはとか、歩くことができなくなっても靴を置いといてくれとか。
最後の最後までもしかしたら治るのではないかという思いをすてないのが人間なのです。
死を自覚することは現実であり、大切なことかもしれませんが死と向き合うよりも最後まで生に執着するのも本当は正しいのかもしれません。
この世の生き方に正しい答えはありません。そして理想通りの人生を全うできる人なんてこの世にはいないと私は確信しています。
思い通りにならないなか、不器用に最後まで生きようとする。
それのどこがいけないのでしょう。
奇麗でないからこそ奇麗なのです。
自分という人生のキャンパスは何度も塗りなおしてようやく完成した世界に一つしかない傑作だと思います。
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忙しくては
なんだか今日は頑張ったのですが最後がうまく行きませんでした。本当に不思議なものでまるでうまくいかないように導かれてしまうこともあるのです。もちろんその逆も。
やはり仕事にはこういったミスはつきものです。だからそれはそれで受け止めて前に進んでいかなくてはなりません。
それにしてもどうなんだろう。やはり忙しいというのはあまり良いものではないかもしれません。どこかヌケが出てきてしまいます。
こうして一喜一憂しながら再び明日はやってくるのでしょう。
とりあえず今日はお休みをして明日に備えます。
やはり仕事にはこういったミスはつきものです。だからそれはそれで受け止めて前に進んでいかなくてはなりません。
それにしてもどうなんだろう。やはり忙しいというのはあまり良いものではないかもしれません。どこかヌケが出てきてしまいます。
こうして一喜一憂しながら再び明日はやってくるのでしょう。
とりあえず今日はお休みをして明日に備えます。
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導き
忙しいからかき込むように食べていて口内炎になってしまいました。それと甘いものも少し食べ過ぎて。
職場では皆が甘いもの大好きです。毎日、お裾分けで甘いものをいただきます。
今日は少し食べたいという気にならないのは暴食がすぎてしまったからだろうか。
話は変わりますが霊媒体質の人の悩みは自分の精神をコントロールできずらいことです。
特につながってしまうと自分のエネルギーを奪われてしまいます。
どんな人でも自分の身体には薄い幕のような霊的なエネルギー体をもっているのです。
それが少し欠損するとそこを入口として自分ではないものに入られやすくなってしまいます。
でも同時に波長を合わせなければ霊も入りようがないのです。
つまり自分というエネルギー体さえしっかりしていれば霊に惑わされることがないと言えます。
私はどうか。沢山の霊とつながった状態です。同時に自分という霊的な鎧ははっきりと自分を覆っているように感じます。
これが破損すれば精神異常か身体に不調をきたすはずです。
だからこそ油断できません。普通に生活していても気をぬくことがないのです。
これをライフワークにしているから苦ではないですが紙一重です。
19歳の時に仏様に帰依すると誓った時からもう自分は自分で自分だけのものではなく人の為にお役に立たせていただくからこそその命を保っているといえるでしょう。
けっして楽ではない。しかし苦しくもない。こんな自分が好きだから。
これからもしかしたら自分は霊的な力と自分のすべきことのバランスが合わなくなり、大きな挫折を味わうかもしれません。
でもすべきことは何も変わらないのです。あの時からずっと同じ。
自分のうちなる声の導きのままに生きるのみです。
職場では皆が甘いもの大好きです。毎日、お裾分けで甘いものをいただきます。
今日は少し食べたいという気にならないのは暴食がすぎてしまったからだろうか。
話は変わりますが霊媒体質の人の悩みは自分の精神をコントロールできずらいことです。
特につながってしまうと自分のエネルギーを奪われてしまいます。
どんな人でも自分の身体には薄い幕のような霊的なエネルギー体をもっているのです。
それが少し欠損するとそこを入口として自分ではないものに入られやすくなってしまいます。
でも同時に波長を合わせなければ霊も入りようがないのです。
つまり自分というエネルギー体さえしっかりしていれば霊に惑わされることがないと言えます。
私はどうか。沢山の霊とつながった状態です。同時に自分という霊的な鎧ははっきりと自分を覆っているように感じます。
これが破損すれば精神異常か身体に不調をきたすはずです。
だからこそ油断できません。普通に生活していても気をぬくことがないのです。
これをライフワークにしているから苦ではないですが紙一重です。
19歳の時に仏様に帰依すると誓った時からもう自分は自分で自分だけのものではなく人の為にお役に立たせていただくからこそその命を保っているといえるでしょう。
けっして楽ではない。しかし苦しくもない。こんな自分が好きだから。
これからもしかしたら自分は霊的な力と自分のすべきことのバランスが合わなくなり、大きな挫折を味わうかもしれません。
でもすべきことは何も変わらないのです。あの時からずっと同じ。
自分のうちなる声の導きのままに生きるのみです。
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命
バテテいます。年明けから異常なほどの仕事量。
私これ隠れコロナがけっこう関係しているのではないかと思います。またワクチンの副作用とか。
病名はそれぞれついていますが全国的にこれだけ多くの人がお亡くなりになる理由が他に思い当たりません。単なる推測にすぎないですが。
今朝、ネパールの旅客機の墜落の瞬間の映像をニュースでみました。インドの男性が楽しそうに機内でリアルタイムで動画を撮っていてそのあとすぐに墜落し、カメラは炎をうつしていました。あの一瞬で70名以上の人の命がこの世から亡くなったのです。
男性は墜落の直前に「死んでしまう。死んでしまう」と叫んでいました。本来今まではあのような動画を私たちが見るようなことはなかったと思います。でもSNSが発展したおかげでその記録はこうしてのこったのです。
すごくショッキングなことです。人は一瞬で自分自身に過失がなくてもあのように命をおとしてしまうのです。
安倍元総理が銃弾に倒れた時の映像も生々しかったです。一国の元総理大臣があのように簡単に殺されてしまうなんて。
昨日、ふとテレビをつけたら貿易センタービルに旅客機が突っ込む映像が流れていました。あの場所であのビルにいた人は一瞬で非日常をつきつけられ、命を落としていったのです。助かった人も偶然だったのかもしれません。
助かれたのに人命救助のために命を落とした人も多くいました。
人の命はもしかしたら長らえることだけが大切なのか。考えさせられました。
勇敢にも多くの人を無事誘導するためにその場に止まり、命を落とした青年のことをとりあげていました。
その写真はなんだか輝いてみえました。魂が輝いているのです。
彼は自分の命を犠牲にして多くの人を救うかわりに自分が一番のぞむ自分になったのです。
私これ隠れコロナがけっこう関係しているのではないかと思います。またワクチンの副作用とか。
病名はそれぞれついていますが全国的にこれだけ多くの人がお亡くなりになる理由が他に思い当たりません。単なる推測にすぎないですが。
今朝、ネパールの旅客機の墜落の瞬間の映像をニュースでみました。インドの男性が楽しそうに機内でリアルタイムで動画を撮っていてそのあとすぐに墜落し、カメラは炎をうつしていました。あの一瞬で70名以上の人の命がこの世から亡くなったのです。
男性は墜落の直前に「死んでしまう。死んでしまう」と叫んでいました。本来今まではあのような動画を私たちが見るようなことはなかったと思います。でもSNSが発展したおかげでその記録はこうしてのこったのです。
すごくショッキングなことです。人は一瞬で自分自身に過失がなくてもあのように命をおとしてしまうのです。
安倍元総理が銃弾に倒れた時の映像も生々しかったです。一国の元総理大臣があのように簡単に殺されてしまうなんて。
昨日、ふとテレビをつけたら貿易センタービルに旅客機が突っ込む映像が流れていました。あの場所であのビルにいた人は一瞬で非日常をつきつけられ、命を落としていったのです。助かった人も偶然だったのかもしれません。
助かれたのに人命救助のために命を落とした人も多くいました。
人の命はもしかしたら長らえることだけが大切なのか。考えさせられました。
勇敢にも多くの人を無事誘導するためにその場に止まり、命を落とした青年のことをとりあげていました。
その写真はなんだか輝いてみえました。魂が輝いているのです。
彼は自分の命を犠牲にして多くの人を救うかわりに自分が一番のぞむ自分になったのです。
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