一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
心の中の炎
最近とても疑問に感じるのです。私の今していることは本当に自分のやりたかったことなのかと。
それはお寺勤めの生活から葬儀会館勤めの生活になってこの三年半。自分なりに一生懸命働いてきたと思います。どちらかというとお坊さんというよりも葬儀スタッフにウエイトをおく仕事内容の中、自分なりに法を世に広めようとして苦闘してきました。
それは分が悪いことはありありです。お寺に勤めていた頃はあくまでもお祀りされている仏様という中心があって人とのつながりがなりたっています。それなので自分がアピールする以前にお寺という押し出しがきいているわけです。
でも今は違います。一から十まで自分次第です。わざわざそこまでしなくても本来どしっと構えていたいところでもそうはいきません。相手との繋がりを模索しながら自分の色をだしていかなくてはならないのです。どうしてそこまでと時折疑問を感じてしまいます。
最近、ペッパー君が法事の導師を勤めているニュースを見ました。衣を着たペッパー君が般若心経をあげて参列者が焼香しているのです。
それをサポートする人間の住職がこれからの時代これもありみたいないい方をしていました。
私はそう、やはりペッパー君みたいに機械的にその時必要だからのお経をあげたくはないのです。あくまでも伝道師として教えを広めていきたい。その思い一念で僧侶になったはずなのです。
でも今の自分が時折不満足なぶん、そのようなジレンマを感じてしまいます。
心の中の熱い思いをもっと護摩の炎のように燃やし続けたいです。
諦めずに頑張ります。
それはお寺勤めの生活から葬儀会館勤めの生活になってこの三年半。自分なりに一生懸命働いてきたと思います。どちらかというとお坊さんというよりも葬儀スタッフにウエイトをおく仕事内容の中、自分なりに法を世に広めようとして苦闘してきました。
それは分が悪いことはありありです。お寺に勤めていた頃はあくまでもお祀りされている仏様という中心があって人とのつながりがなりたっています。それなので自分がアピールする以前にお寺という押し出しがきいているわけです。
でも今は違います。一から十まで自分次第です。わざわざそこまでしなくても本来どしっと構えていたいところでもそうはいきません。相手との繋がりを模索しながら自分の色をだしていかなくてはならないのです。どうしてそこまでと時折疑問を感じてしまいます。
最近、ペッパー君が法事の導師を勤めているニュースを見ました。衣を着たペッパー君が般若心経をあげて参列者が焼香しているのです。
それをサポートする人間の住職がこれからの時代これもありみたいないい方をしていました。
私はそう、やはりペッパー君みたいに機械的にその時必要だからのお経をあげたくはないのです。あくまでも伝道師として教えを広めていきたい。その思い一念で僧侶になったはずなのです。
でも今の自分が時折不満足なぶん、そのようなジレンマを感じてしまいます。
心の中の熱い思いをもっと護摩の炎のように燃やし続けたいです。
諦めずに頑張ります。
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