一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
あの世と海
今日、初盆の棚経をして思いました。あの世は海の中にお花がさいたような景色なのかなと。
回転灯篭やバブル灯、皆青い光を発してお盆を彩ります。その青い光は子供の頃からなんとも言えないあの世のイメージが植え付けられてきました。
あの光をみるとお盆だ。盆踊りだ。夏でもこれまでの夏とは違う。物悲しいような懐かしいような。お盆が過ぎれば夏が終わる・・・。
それにいつもお供えされた桃の匂い。そのころ咲くユリの甘い香り。
こんなあの世とこの世が入り混じる時にどうして海水浴をして楽しむのでしょう。この期間だけはレジャーよりもまずは先祖供養を第一に考えるべきです。自分の存在が何なのか。どこからきたのか。そしてどこに行くのか。
僧侶として働きだしてから数年、私は自分の身体が霊的にも出来上がるまでは誰かと付き合わなければ結婚もしないと思った時期があります。
頭にうかんでくるイメージはこんなふうです。
深く、青く、静かな海の中で静かに座禅を組んでまるで母親のお腹の中で赤ちゃんが育っていくように自分も大丈夫な自分が完成するまで静かにその時を待っている。
あの世はこの世に生まれ変わるまでの前段階です。再びこの世に出られる日を静かに待たなくてはいけません。
その意味ではあの世が海の底に例えられるのも何かしらあの世との共通点があるからだと思います。
回転灯篭やバブル灯、皆青い光を発してお盆を彩ります。その青い光は子供の頃からなんとも言えないあの世のイメージが植え付けられてきました。
あの光をみるとお盆だ。盆踊りだ。夏でもこれまでの夏とは違う。物悲しいような懐かしいような。お盆が過ぎれば夏が終わる・・・。
それにいつもお供えされた桃の匂い。そのころ咲くユリの甘い香り。
こんなあの世とこの世が入り混じる時にどうして海水浴をして楽しむのでしょう。この期間だけはレジャーよりもまずは先祖供養を第一に考えるべきです。自分の存在が何なのか。どこからきたのか。そしてどこに行くのか。
僧侶として働きだしてから数年、私は自分の身体が霊的にも出来上がるまでは誰かと付き合わなければ結婚もしないと思った時期があります。
頭にうかんでくるイメージはこんなふうです。
深く、青く、静かな海の中で静かに座禅を組んでまるで母親のお腹の中で赤ちゃんが育っていくように自分も大丈夫な自分が完成するまで静かにその時を待っている。
あの世はこの世に生まれ変わるまでの前段階です。再びこの世に出られる日を静かに待たなくてはいけません。
その意味ではあの世が海の底に例えられるのも何かしらあの世との共通点があるからだと思います。
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