一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
私のルーツ
もう少しでひと段落です。そうしたら田舎に帰ります。ようやく自分のルーツの先祖を供養できるのです。
ノスタルジーとか郷愁とか。ずーとそこに住んでいないからこそ懐かしく感じるのかもしれません。わずか14年しかそこにいなかったのにまるで最初から最後までそこにいるようなそんな感覚。
お墓は田舎に持つことはないでしょう。でもよく田舎に自分の骨を埋葬してくれという言葉を聞くとその気持ちもなんだかわかると思ってしまうのです。
私がもう一か所、郷愁を感じるのは前に勤めていたお寺です。そしてそのお寺の奥の院が自分の僧侶の魂としての故郷に感じます。幸い毎日、出勤途中にそのお堂をお参りできることは私にとっての救いです。かなわないとしても自分の骨の一部を奥の院の境内に埋めてくれと妻に半分本気で頼んだりしています。
まあそれは半分はそれ程思っているという意味ですが。
結局、私の僧侶としての人生はあのお堂に育てられて今もここで生きているのだと思います。
その二つの私のルーツはこれからも変わらないでしょう。
ノスタルジーとか郷愁とか。ずーとそこに住んでいないからこそ懐かしく感じるのかもしれません。わずか14年しかそこにいなかったのにまるで最初から最後までそこにいるようなそんな感覚。
お墓は田舎に持つことはないでしょう。でもよく田舎に自分の骨を埋葬してくれという言葉を聞くとその気持ちもなんだかわかると思ってしまうのです。
私がもう一か所、郷愁を感じるのは前に勤めていたお寺です。そしてそのお寺の奥の院が自分の僧侶の魂としての故郷に感じます。幸い毎日、出勤途中にそのお堂をお参りできることは私にとっての救いです。かなわないとしても自分の骨の一部を奥の院の境内に埋めてくれと妻に半分本気で頼んだりしています。
まあそれは半分はそれ程思っているという意味ですが。
結局、私の僧侶としての人生はあのお堂に育てられて今もここで生きているのだと思います。
その二つの私のルーツはこれからも変わらないでしょう。
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