バブル絶頂の頃、こんな通信教育があったのを覚えていますか?
で、OLさんとかが結構申し込んでいたんですよ。だってあの頃
作詞家というのは最高に格好良くて、しかも儲かりそうな仕事でしたからね。
秋元さんの事務所「Sold Out」の名前は良くテレビのエンドクレジットで見たものです。
かく言う私はさすがに通信教育はやりませんでしたが、それに先行して出された
『秋元康の作詞塾』という本は持ってました。
それは、「作詞は状況が目に見えるように書くのがコツだ」ということが書かれたほかは、
ほんの8割が原稿用紙になっているという、まあ人を食ったような本でした。
でも馬鹿正直にそれの升目に書いてましたよ。ええ、アイドルっぽい歌詞をね!
で秋元さんのところの送りましたよ。馬鹿高校生でしたねえ。
先日、そのころ秋元さんの事務所の一番下っ端ぐらいだった放送作家さんに
お話を聞く機会があって、話していたら大笑いされました。
やっぱり彼らが添削要員にされたそうですが、9割5分が
青春時代の交換日記ポエムみたいなものだったらしいですね。
私もナニを夢見ていたんでしょうねぇ。
で、OLさんとかが結構申し込んでいたんですよ。だってあの頃
作詞家というのは最高に格好良くて、しかも儲かりそうな仕事でしたからね。
秋元さんの事務所「Sold Out」の名前は良くテレビのエンドクレジットで見たものです。
かく言う私はさすがに通信教育はやりませんでしたが、それに先行して出された
『秋元康の作詞塾』という本は持ってました。
それは、「作詞は状況が目に見えるように書くのがコツだ」ということが書かれたほかは、
ほんの8割が原稿用紙になっているという、まあ人を食ったような本でした。
でも馬鹿正直にそれの升目に書いてましたよ。ええ、アイドルっぽい歌詞をね!
で秋元さんのところの送りましたよ。馬鹿高校生でしたねえ。
先日、そのころ秋元さんの事務所の一番下っ端ぐらいだった放送作家さんに
お話を聞く機会があって、話していたら大笑いされました。
やっぱり彼らが添削要員にされたそうですが、9割5分が
青春時代の交換日記ポエムみたいなものだったらしいですね。
私もナニを夢見ていたんでしょうねぇ。
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