かわらけ君と「隠岐殿」探し!?

2021-10-11 14:30:11 | 紹介
信玄公のご生誕500年まで、1カ月を切りました。
記念のこの年、当館の特別展示室では、8つのテーマを手掛かりに、信玄公の実像にせまります。

10月4日までは、「信玄公と家臣団」というテーマで、「武田二十四将図」などの他に、
隠岐殿(おきどの)遺跡からの出土品もご覧いただきました。

隠岐殿遺跡がどのような場所だったのか、よくわかっていないながらも、
発掘調査から、縄文~古代の遺跡以外に、中世の建物跡が見つかり、
その付近から、かわらけの他、国内外の陶磁器の破片が1000点以上出土したことが注目されました。

建物跡は、天正9年(1581)に築かれた新府城(山梨県韮崎市)の東に位置しており、
現在の道だと、新府城と隠岐殿遺跡間の距離は1.4km。
新府城築城のための、いわば築城管理事務所兼管理者の居住地だったのではないか
と考えられています。

大量の国内外の陶磁器の破片の中には、
動物や植物が描かれた染付、茶道に使う天目茶碗、抹茶を入れる棗(なつめ)もあり、
古瀬戸の四耳壺や白磁皿など、客人のもてなしの作法にも適うような陶磁器も出土しています。

もちろん、儀式饗宴に不可欠であったかわらけも出土。

国が違えばなんとやら・・・
武田氏館や城下町から出土するかわらけと、隠岐殿のかわらけはちょっと違う。
勝頼公の母方の実家、諏訪のものとも、奥様の北条のものとも違う。

隠岐殿遺跡から出土したかわらけ(写真手前)は、
口縁がしっかり立っていて、糸切された底部には高台もあって。

こうした特徴を持つかわらけは、ほかに塩田城跡(長野県上田市)、金井城跡(長野県佐久市)など、
長野県東部の東信地域の戦国時代のお城で出土しているもので、この地域のかわらけの特性を示しているとも。
また、岩櫃城跡(群馬県東吾妻町)でも確認されていることから、
一時城主であった真田氏の勢力下で主にみられる特性とも考えられています。

ちなみに、こちらは武田氏館跡から出土のかわらけです。
口縁に丸みと厚みがあります。
底部は同じく糸切されていますが、高台のようなものはなく平らです。

それじゃあ、隠岐殿遺跡の”あるじ”は誰なの!?という疑問は当然。

ごめんなさい🙇💦💦
最初に言ってしまうと、かわらけの形状も大きな手掛かりとなって、
佐久地方を知行した有力者、数名くらいまでは絞り込めても、
「この方!」という断定は、まだむずかしいみたいなんです。

有力候補とされながらも、恐らく違う😨と言われているのが、
「武田二十四将」常連の真田ファミリーの一員、真田信尹(のぶただ)さま。

有力候補である所以は、
隠岐殿遺跡の「隠岐殿」は江戸時代まで使用されていた字名であり、
その「隠岐殿」とは、「隠岐守」に任ぜられた信尹さまが由来・・のようだから。

真田幸綱の4男で、昌幸の弟、信尹(1547-1632)✨
信玄公の北条の駿河深沢城攻めでの武功により「黄八幡」の旗指物を授かり、
兄と同様、武田家の龍朱印状の奏者を務めるなど活躍。
勝頼公の死後は、徳川と真田の橋渡しを務めるなど、お家存続にも尽力・・・。

武田家家臣としてさまざまな働きを担った信尹さまですが、
新府城築城に関わっていた兄・昌幸が、上州に不穏な動きあり・・
ということで、その後を引き継いだのも信尹さまの可能性も?

だから、本当は、「隠岐殿遺跡」=信尹さまの屋敷跡だったらわかりやすかったのですが、
事実は、果たしてどうだったのでしょう。

江戸時代、信尹さまの知行地は、発掘された建物跡から少し離れた別の場所(現在の北杜市須玉町)。
なので、隠岐殿という地名は悩ましいのですが、
ただ、管理事務所に住まずとも、新府城の築城に尽くした姿が記憶に刻まれ、
後々まで、その土地が「隠岐殿」と呼ばれたの可能性もあるわけで。

新府城跡と隠岐殿遺跡については、韮崎市民俗資料館の展示もご覧ください。
ステキな御城印・武将印も取り揃えていますよ。
ちなみに、当館配布の期間限定信虎朱印版は、本日でいったん終了。
次回は、12月下旬に登場しますので、ご希望の方はそのタイミングでお越しください。

点と点を結ぶと線になり、線と線がつながっていくと面になる。
時々つじつまが合わなくなる😨
でも、つじつま探しもなかなかどうして面白い(!?)じゃないですか。

・・・
10月の特別展示のテーマは「信玄公と教養」。
展示物は、信玄公が、京からのお客さまと詠んだ「和漢聯句」と、
信玄公自らの筆でしたため浅間神社に奉納した「和歌短冊」です。

みなさまはどんなふうに点と点を結びますか?
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武田二十四将ドラフト会議結果発表!

2021-10-09 10:00:47 | イベント
昨年の総選挙につづいての第2弾企画となった「武田二十四将ドラフト会議」。
たくさんのご来館の皆さまにご参加いただいて
10月4日(月)、無事に閉幕いたしました。
7月21日(水)から始まった夏季企画でしたが、新型コロナ感染拡大の影響により
約1か月の臨時休館もあり、実質35日間の開催期間となりました。
今回は、3部門に分かれましたので、全体の参加者総数はわかりませんが、
一番指名票をいただいた本陣部門で2313票が入りました。
昨年は、約5300人の方にご参加いただきましたが、開催期間を考えますと、
推計では、臨時休館がなければ同じくらいの参加者があったかな?と思います。
コロナ禍の中で、地域によっては外出自粛要請なども出ていた期間でもあり、
ご来館いただくのも難しい時期でしたので、そのような状況下で
たくさんの方にご参加いただき、感謝申し上げます。

では、さっそく、注目の結果がこちらです!!





前線部隊では予想通り、山本菅助と真田昌幸の争いになりました。
昨年は70票余りの差で昌幸が勝利しましたが、
今年は菅助が約30票差で勝利!
菅助と昌幸、同時期に活躍することはなかったであろう二人ですが、
令和の世で、こうして毎年しのぎを削ることになろうとは……

主力部隊では、山県昌景が圧倒的な票数を獲得。
昨年も全体の5位と、その人気ぶりを感じていましたが、
ここまでの差がつくとは、まことに恐れ入る展開でした。
家康も恐れたという武勇が、皆さんの心を揺さぶるのでしょうか。

信玄公の側をお守りする一門衆の本陣では、
後継者の勝頼と、腹心の弟信繁が順当に上位を勝ち取り、
そこへ我らが「かわらけ君」が見事3位入賞!
信玄公に憧れる下働きの下級武士だったかわらけ君が、
信玄公の背後をお守りするまでになるとは…
身分や境遇に関わらず、能力さえあれば積極的に登用される
信玄公の人材活用術が表れた結果と言えるでしょうか!?

これで、信玄公生誕500年の年を生きる私たちが考える
最強の武田軍の布陣が完成しました。
これで戦に臨めば、きっと天下を狙えるはず!

いかがでしたでしょうか?
皆様が指名していただいた武将は、何位だったでしょうか?
たくさんのご参加、誠にありがとうございました。

また、同時開催だった特別展示室の企画展「信玄公の家臣団」も所蔵先のご厚意を得て、
期間を圧縮しながら、展示をすることができました。
昨年度1位の真田昌幸関係資料も貴重な品でしたが、また、来年は今年の1位
の誰かの品が展示できるよう努力いたします。
また、来年もご期待ください。
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あの方もこの方も歌が好き! そして、蓑虫で一首!?

2021-10-07 19:31:52 | 紹介
信玄公ご生誕500年まで、あと1カ月を切りました!
信玄ミュージアムでは、記念すべきこの2021年度、
8つのテーマを通して、信玄公を紐解きます。
10月4日(月)までは「信玄公と家臣団」でしたが、
10月6日(水)からは「信玄公と教養」がスタートしました。
甲府も空や空気がだんだんと秋めいてきましたが、秋と言えば文化の秋。
そんなわけで、テーマも季節感を出した設定にしております。

信玄公と言えば「風林火山」で、織田信長も恐れた戦国屈指の戦国大名というイメージが強いかもしれません。
それはきっと間違いではないのですが、幼いころより、優れた師の下で教養を積んだこともまた事実。
当主となった後は、政治的な理由も大きかったにせよ、京の客人もあり、
そんな時は、和歌を詠む会なども催し、もてなしたとか。

「信玄公と教養」のテーマ展示では、
戦だけじゃない、文化人としての信玄公を垣間見ていただけたら♬
信玄公ご生誕の地、要害城のふもとの積翠寺に残される「和漢聯句」、
甲斐國一宮淺間神社所蔵の「和歌短冊」が展示されています。

・・・
当館内の昭和初期の料亭旅館、旧堀田古城園でも短歌をご紹介しております。
どなたの短歌かと言えば・・・堀田さん!
元は東京で教職についていましたが、
終戦後は、妻の切り盛りする「堀田古城園」をサポートするため帰郷。
70歳頃から、精力的に歌を詠み、新聞などに投稿したとか。
堀田さんの歌も、ぜひ読みにいらしてください。
旧堀田古城園の広間南側で展示中!

・・・
衣替えはもう少し後でいいかな、という陽気ですが、
虫たちは着々と冬支度を始めている(!?)のかもしれません。
特別展示室前の植え込みにいた、この方は・・・?


どうやら蓑虫!
意外と移動が速いんですね。
壁に、地面に、そして壁に!冬の間ぶら下がれる、安住の地を求めて。
そして、「蓑虫」は秋の季語。
和歌では必ずしも必要ない季語ですが・・・
和歌にハマった”歴”のある信玄公なら、一度は蓑虫で一首♪詠んだかも😉
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川中島より無事ご帰還🐎

2021-10-04 17:36:31 | 紹介
大型で強い🌀と警戒された台風16号が去り、青空が戻ってきました。
それなりに高い気温が予測されておりますが、
台風の余波でしょうか。風がちょうどよく吹いていて、過ごしやすいお天気です。
非常事態宣言などの全国的解除後の最初の土曜日は、中央自動車道がかなり渋滞。
そのためでしょうか。当館、午前中はずいぶん静かでしたが、お昼前ごろから、たくさんの方がお越しに🙇

そのお昼ちょっと前に、川中島の古戦場から無事にご帰還されたのが・・・


武田氏館跡、西曲輪南馬出の下層で出土した「馬の骨」!
川中島でさぞかし活躍されたことでしょう✨
お疲れ様でございました🙇
長野市立博物館の学芸員の方に伺いましたら、期間中、大勢の方が企画展示を
ご覧になられたとのこと。
ありがたいかぎりです。
物々交換ではありませんが、当館では武田信繁様の書状を長野市立博物館からお借りしておりました。
ご協力いただき、ありがとうございました。
無事、本日4日をもちまして、特別展のテーマ「信玄公の家臣団」が終了いたしました。

改めまして、ご紹介させていただきますと・・・

こちらは、馬の全身骨格。戦国のものとしては全国でも唯一の出土例!
奇跡✨のワケは、大切に”埋葬”されたから!?
大切に埋葬された馬は、大切に飼育された!?

いずれにしても、残された骨の状態からわかることは、
生前の栄養も含めた飼育状態も良く、筋肉質だったこと。
駄馬に見られる骨の損傷もないことから、軍馬だった可能性も高いこと。
わらのようなものが周囲に認められたことから、おそらくむしろに包まれて埋葬されたこと、
しかも、極楽浄土に向かうかのように、北枕西向き、足を折り曲げた状態で。

誰の馬だったか、確かなことはわかっていません。
けれども、それなりの身分の方が所有した馬だったことは確か。

発掘されたのは地面から2m強の深さで、
武田氏館の西曲輪造成前に生きた馬…かも?
となると?

武田氏館跡の馬、出陣の様子はこちら!
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信玄公生誕500年記念日まであと1カ月

2021-10-03 08:58:02 | イベント
戦国大名武田信玄公の500回目となる誕生日が、残すところ1カ月となりました。

1年前にカウントダウンを開始し、その間、様々な出来事がありましたが、
気が付けば、もう間もなく生誕500年記念となる11月3日を迎えます。

記念日を祝うべく、信玄ミュージアムでも11月3日(水・祝)に向けて
様々な準備を進めています。
調整の最終段階ですので、記念日当日、それ以降に開催の催し物については、
内容が固まり次第、改めて詳細を予告いたします。
とはいえ、少しだけ概要をお伝えしますと、
1.通年開催中の信玄公生誕500年記念特別展「遺産から語る武田信玄」
 テーマが「信玄公の信仰」に移ります。
 ここでは、前期・後期で展示品が変わる予定ですが、記念日当日からスタート
 する前期展では、関西方面から貴重な品を2点借用する予定です。
 一つは、当時の記録としては、唯一信玄公の生誕日がわかる史料。
 もう一つは、信玄公のライバルが崇拝していた神様を信玄公も敬っていたことを示す史料。
 ぜひ、ご期待ください。

2.11月3日に信玄ミュージアム主催の歴史ツアーと、ミュージアム前広場での小規模なイベント開催。
 こちらは、詳細を調整中です。
 どんな仕掛けになるかわかりませんが、散策会では、ミュージアムスタッフが
 館内や史跡・城下町などを1時間少々かけてご案内。
 午前・午後2回を予定していますが、定員は各15~20名を予定しています。
 普段見られない資料や場所をご覧いただければと考えています。
 また、広場では甲冑姿の侍たちが何やらカッコいいパフォーマンスを披露してくれるかも。
 一緒に記念写真もアリかもしれませんので、戦国好きの方はお楽しみに。

3.限定御城印配布スタート
 大変好評をいただいています、信玄ミュージアムオリジナルの武田氏館跡御城印。
 昨年春から開館1周年を記念して配布予定が、コロナ禍の影響直撃で、
 1年前の11月3日、いきなり限定版からスタートいたしました。
 初回は、開府500年の1519年にちなみ、1519枚限定発行でした。
 今年は、生誕に合わせ、約500年上乗せして、2021枚限定発行。
 デザインも生誕500年記念を入れてマイナーチェンジする予定です。
※当館の御城印は、入館者への記念品で非売品です。
 ところが、残念ながら限定版だけを目的に日を変えて入館し、
 ネットオークションへ出品される方が確認されました。
 対応として、限定版は、配付期間中一人一枚、1回限り。
 期間中に複数回入館されても、1度配布した履歴が確認された方には限定版は差し上げません。
 純粋にコレクションで保存用・閲覧用を持ちたいという方には申し訳ありません。
 一人でも多くの方に公平な配布をしたいので、ご理解、ご協力をお願いします。
 また、昨年はコロナ対策も手探りで、入館手続き等ご迷惑をおかけしましたが、
 多少でも改善できればと思います。
 ただ、コロナ対策による入館者数の制限がありますので、この期間は事前予約をお願いします。
 前回ほど時間単位での厳密な入館制限はしない予定ですが、土日の混雑時は、
 予約なしの方には、外で待機いただくこともあると思います。

ほかにもお楽しみいただける仕掛けを11月は考えていますので、
ご来館をお待ちしています。




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