善光寺と加藤光泰

2023-08-30 17:53:51 | 紹介
本日、甲府の善光寺様に開催中の企画展「竜虎相搏つ 武田信玄と上杉謙信」後期の
資料借用のご相談にお邪魔しました。

善光寺様では、昨日お施餓鬼が行われたそうで、その片付けでお忙しい中をお邪魔してしまい、
大変申し訳なかったです。
施餓鬼(せがき)とは、お盆近くでご先祖様を供養する法事の一つとして行われますが、
餓鬼道に堕ちて苦しんでいる人や動物などに施しを与えて供養し、自分の徳を積むという
意味もあるそうです。
宗派やお寺様によって諸々違うようなのですが、甲府の善光寺様は例年8月29日だそうです。
今年は暑かったので、関係者や参列された檀家の方々も大変だったとお聞きしましたが、
もうひとつ、大事なことを副住職様からお教えいただきました。
8月29日という暑い中に法要を行う意味は、この日が加藤光泰の命日だから、だそうです。

加藤光泰は、豊臣秀吉の腹心として活躍し、徳川家康との国境に位置する甲斐国を
任され、武田氏館を改修して居城とした人物です。
加藤光泰は、朝鮮出兵で病没してしまいますが、遺骸は甲斐に戻され、
善光寺に埋葬されました。
善光寺境内金堂の北東側に墓所が営まれていて、甲府市の指定文化財になっています。
加藤家は、光泰の死後、秀吉の命で国替えが決まり、岐阜の黒野を経て大洲へと移り
幕末を迎えました。
その際に墓所も改葬されて、遺骨などは残されていませんが、甲府を離れても加藤家は
善光寺を引き続き保護して光泰の供養を依頼し、寺内整備や修繕のために費用も負担してきました。
そうしたこともあって、善光寺もその恩に報いるよう、光泰の供養を代々お施餓鬼と合わせて
執り行ってきたのでしょう。
善光寺にとっては、信玄公も大事ですが、加藤光泰も同じくらい大切な存在ということを改めて知りました。
気候変動でこうした法事も大変ですが、ぜひ、こうした御縁を大切にいただければと思いました。



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