ミュージアム再開後は、武田家家臣団に思いをはせる・・・

2021-09-02 19:34:28 | 紹介
暑い夏らしい夏が戻ってきたかと思えば、昨夜から雨雨雨☂
甲府市で「まん延防止等重点措置」適応となって4週目。
県や自治体の施設の多くが休館になり、学校は分散登校やオンライン授業となったり。

でも、9月に入り、13日以降のことが気になりだしました。
当館もそろそろお客さまをお迎えしたいところ。
というのも、今年は、信玄公生誕500年の記念すべき年✨
特別展示室では、さまざまなテーマに合わせた展示を順次行っており、
他の施設からお借りしているものも、とっても多いんです。
そんな、普段はご紹介できない展示品、
なるべく予定通りに、少しでも多くの方にご覧いただきたい💦

再オープン後、予定している展示のテーマは「信玄公の家臣団」
逸品展示コーナーでご覧いただくのはこちら⇩です。
「真田氏赤地六文銭旗」
「隠岐殿遺跡出土品」
「武田信繁書状」
※10月4日(月)までの展示予定です。

当館、常設展示室では、今年、令和3年度も「武田二十四将」の人気投票を行っておりますが、
令和2年度の覇者は、真田昌幸さま✨
昌幸さまだけでなく、投票にエントリーされた真田家の皆さまの活躍めざましく・・・
そんな人気にお応えしたい(!)と、この夏はあの(!?)「六文銭旗」の展示となりました。

また、勝頼公の築いた新府城東に位置する戦国の館跡の出土品も。
しかも、こちらの館の主は定かではないながらも、
もしかしてもしかすると、真田がらみ!?

さらに、去年以上に票を伸ばしている武田信繁さまの書状も併せて展示。
信繁さまとは・・1561年、激戦と伝えられる第4次川中島の戦いで討ち死にするまで、
名実ともに武田軍の副将を務めた、信玄公の実弟です。

書状は、1555年、または1557年、35または37才の時に書かれたもの。

「来敵、無二之一戦可有之義候(中略)涯分可励」(一部抜粋)
敵=上杉軍が来れば、またとない一戦となるはず(中略)精一杯励みます・・

とあり、戦に臨むにあたっての、信繁さまの決意が表明されています。

・・・
信玄公が二十歳の時に、父である信虎公を駿河に追放したのはよく知られるところですが、
信虎公が、信玄公ではなく、その弟・信繁さまに家督を譲ろうとしたことも、
要因のひとつになったとかならなかったとか。

この追放劇の動機含む全貌は明らかになっていないけれど、
いずれにしても、信繁さま、その後も兄を良く支え、
川中島での死においては、信玄公も号泣したと伝えられるくらい。

「惜しみても尚惜しむべし」と家臣たちもその死を嘆き、
真田昌幸も、次男を「信繁」(後の幸村)と名付けていることからも、
そのお姿✨が、周囲の目にどのように映っていたか想像に難くなく。

・・・
仲の良い兄弟といえば、当館にもいるんですよ🐈🐈
ガラス越しで、ちょっとぼやけていてごめんなさい🙇

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