出土するもしないも、訳がある

2020-05-23 12:33:20 | 紹介
武田氏館跡から大量に出土する「かわらけ」は、
ほとんどが茶色の地元生産品ですが、
「白かわらけ」(写真左奥)の他にもう一つ、
「耳かわらけ」なる変わり種あり。(写真手前)
「白かわらけ」と同じエリア、お館様の暮らした曲輪から発掘され、
同じように、ほかでは出土例があまりありません。



武田氏館跡地図(現在の武田神社)
☆のあたりが「白かわらけ」と「耳かわらけ」の出土した場所。
信玄ミュージアム(武田氏館跡歴史館)は南側の堀の下にあります。

「かわらけ」の両端をきゅっとつまんだ、その名の通り耳型👂の「かわらけ」。
その用途は儀式や饗宴用の「箸置き」。
でも、今と違って、当時は箸を「耳かわらけ」に水平にのせていました。
なぜなら・・・古来より神さまへのお供え物は箸と一緒に台の上。
神さまがお使いになる箸が「台に触れてはならん!」という配慮から、水平置きだったようで。
その名残で、戦国の世でも「耳かわらけ」は大名用、箸は水平置きが必須です。

甲斐国では、良質の粘土が取れる場所(甲府市)があったこともあり、
奈良から平安の頃、すでに土器を焼く工房があり、隣国まで流通していたとか。
平城京跡からは、この甲斐型土器が出土。祭祀に使われていた可能性も。
生産された坏などの特徴は、ろくろで作られ、底部には糸切跡。画一的、かつ大量生産。
館や城下町から出土する「かわらけ」は、その子孫みたいなものでしょうか。



一方、「白かわらけ」には、成熟した文化的価値が認められながらも、
各地で本当に重視されたのは、
儀礼にふさわしい所作や作法を取り入れることだったようで、
「白かわらけ」をはじめとする儀式・饗宴用の道具は臨機応変♪
武田氏館跡では、茶色のかわらけの方が主役だったみたいです。


武田氏館跡(現在の武田神社)の南側の堀
この朱色の橋を渡って真っすぐ進めば、武田神社拝殿。
その左手がおおよその出土場所となります。
お越しの際は、ぜひそんなことを思い出しながら見てください。


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