記事担当の都合で、1月下旬から更新ができない間にとうとう2月に入りました。
今日は広範囲に大雪となり、山梨県内でも早い時間から雪が降り続いています。
お昼時点で市街地にある甲府城跡も真っ白です。
珍しく、甲府でも路面も含めて積雪を記録しました。
信玄ミュージアムも、本日は16時までの開館とさせていただきます。
急なことで、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。
さて、少し間が開いたところでいろいろと動きもありまして、先週末の事業のご報告です。
まず、ずいぶん前にこのブログでもお知らせしました、城郭研究者の千田嘉博先生に
よる、信玄公没後450年講演会「信玄の城から家康の城へ〜近世城郭の成立を読み直す〜」
が2月3日(土)に開催されました。
千田先生のファンの方も多く、わざわざ遠方からもお越しいただき、大盛況でした。
開場前に順番待ちで並ばれている来場者の方々と話をされたり、一緒に写真を撮られたりと
とても親切丁寧に対応されていた姿が印象的でした。
お話の内容を超要約でお伝えしますと、
武田氏本拠の躑躅が崎の武田氏館跡や新府城跡に遺る城郭の構造などを解説した上で、
武田流の築城術の枡形虎口や馬出を家康が積極的に取り入れて、発展させていった、
というお話でした。
特に、秀吉と争った小牧長久手の戦いを契機に、今の愛知県東部や静岡県西部一帯の
お城には武田流の馬出がたくさん築かれた、ということもお話されました。
最後に、来場者の皆様のお宅にもぜひ馬出を、ということで会場が笑いに包まれました。
来場者の方に少しお話を伺うと、「楽しくて、あっという間の2時間でした。」
「話の内容がとてもわかり易くてお城に興味が持てました。」
など、皆様、大満足でお帰りいただきました。
そして、翌日の4日(日)は、ボランティアガイドの学習会を開催しました。
今年度は、関連する話題もあった大河ドラマ関係で、「どうする家康の世界」と題し、
武田氏から徳川氏までの甲斐国をめぐる動向を学習会で4回開催してきました。
その最後に5回目として、徳川家康についてもう少し詳しく知ろうと、山梨県立博物館
学芸員の茶園紘己氏に依頼し、特別講座として開催しました。
タイトルは、「戦国時代の若年当主を知る〜徳川家康の事例〜」ということで、
面白い視点と内容の講演となりました。
殿様が討死、あるいは病死などで急に幼い子供が当主に担ぎあげられる、という
命の取り合いの戦国時代ではあるあるの内容ではありますが、その問題に正面から
取り組まれている数少ない研究者の一人です。
若年当主、つまり幼少の嫡子が家を継ぐことになった場合、どうやって家を存続させたのか、
徳川家康を題材に解説いただきました。
家康が徳川を名乗って大名として独立する以前の松平家時代のお話ということで、
家康のお爺さんの代までさかのぼり、大河ドラマの世界の成立前から今川家との関係まで含め、
松平家がいかにして家の存続を図ったか、ということがよく分かる講演内容でした。
また、女性の立場や政治への関わりなども交えて講演いただき、非常に興味深いお話でした。
確かに、政治のいろはも分からない幼少の殿様をめぐる家臣同士の権力争いや、
そこにつけ込む上位権力者との関係など、ドロドロとした人間関係が透けて見え、
改めて、人間味あふれる戦国時代、という感じがしました。
武田家も信虎公が家督相続したのは10代の始めですから、家康とまったく同じ境遇でしたし、
信玄公が家督相続したのも、やはり家臣の神輿に乗るような状況でしたので、今後、
武田版の研究が進むことを期待したいです。
ある意味では、現代社会と変わりないところもあり、改めて、面白いお話でした。
今年度のボランティアガイドの学習会は、この講座で終了しましたので、
また来年度は違った切り口で来館者をお迎えした際の話の引き出しを増やすよう、
学習を重ねて行ければと思っております。
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