川中島の戦いの「たら・れば」話(*´艸`*)

2022-08-24 18:45:40 | 紹介
「川中島の戦い」は、北信濃にクローズアップすれば、2国間の信越国境問題。
でも、それだけのために、戦国を代表する大名お二人が、12年間も費やすでしょうか。

メリットは何だったのかを考えると・・・
川中島という土地は、信玄公にとっては、日本海に、
謙信公にとっては、お膝元を守る最後の「関門」であり、
その先にある関東への「扉」だったかも!?

ドラえもんの「どこでもドア」ではないですが、
信玄公が信濃を北上すれば、越後。眼前は日本海。
海は塩が取れるだけではありません。
港を持つことは、海上交易がもたらす富を得ることであり、
地域の物流も融通しやすく、戦支度もしやすくなります。
港を制することの重要性は、織田信長の財力をみれば明らか。

実際、厳しい結果となった第4次川中島の戦いの後、
信玄公は飛騨を侵攻し、越中国(現在の富山県)を目指しています。
その先にあるのは、やはり海。

謙信公にとってはどうだったのでしょうか。
信越国境を守ることは、越後を守ることだけでなく、
北信濃が味方勢力で安定すれば、関東支配が見えてきます。
逆に言えば、武田軍が北信濃をちょろちょろしていては、安心して関東に向かえない。

それは、信玄公にとっても同じこと。
謙信公に北条氏が追いやられ、関東、そして東国を支配されては、
すでに駿河に目を向けている信玄公としてはとっても困る。

だからこそ、「川中島」をやめることができなかった・・・?
そして、12年もの間、時代の両雄が
川中島=関東支配をめぐって睨み合っている間に、
北条氏によって、関東は統一され、さらに、織田信長と徳川家康が台頭し・・・。

もし、川中島の戦いが1回で決着がついていたら?
もし、もっと早く、二人の武将が停戦していたら?
甲信越の勢力図は変わってたかもしれないし、
信玄公の西上作戦も早まったかもしれません。

「たら・れば」はさておき、
当館常設展示室(無料)で開催中の夏の投票企画!
「決戦! 川中島」にも、奮ってご参加ください。
ちょこっとお知らせしてしまうと、
8月24日現在、両者の得票率は、武田勢57.4%、上杉勢42.6%!
武田ファンの皆さま、辛勝でよいのですか?
上杉ファンの皆さまは、これでよいのでしょうか?
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第46回藤村学校「講演~伝統から学ぶ甲府の魅力(その3) 宝飾の街を築いた水晶細工~」を開催しました。

2022-08-24 13:18:35 | イベント

8月22日(月)
甲府市藤村(ふじむら)記念館にて
有限会社土屋華章製作所 代表取締役 土屋 隆さん(伝統工芸士)に
ご講演いただきました。


水晶細工と甲府の歴史を教えていただきました。
中でも印象的だったのは、
水晶加工技術が優れていたために
水晶が戦争の道具になった、というお話です。
戦争で水晶を使われることを拒み、
製作所を移し、一時農業をされていたそうです。
結果、戦火を逃れ幕末期の帳簿など
貴重な資料が現在まで残りました。


また、現在の水晶加工の技術についてもご説明くださいました。


講演後は、水晶を間近でご覧になったり
質問等の続きをしたり、受講生の目が水晶のように輝いていました😊 

ご参加いただき、ありがとうございました。
次回の藤村学校は10月17日(月)を予定しています。
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