開催中の企画展の見どころご案内

2022-08-27 16:27:30 | イベント
8月の最後の週末となりまして、コロナ禍になってから久々に行動制限なき
8月が終わろうとしています。
昨年は、お盆前に急に臨時休館となってしまい、大変ご迷惑をおかけしました。
今年はここまで何とか開館することができまして、
8月単月では来館された方の数も信玄ミュージアムが開館した
2019年にかなり近づき、ここまで多くの方にお越しいただいています。
企画展も昨年は中途半端に終わったり、
予定を大きく変更せざるを得ませんでしたが、
ここまでは順調にご覧いただいています。
さて、参加型企画の「決戦川中島 武田・上杉勝者はどっち?」も
多くの方に票を投じていただき、途中経過などもお伝えしています。

一方で、特別展示室で開催しています企画展「山本菅助 その伝説と実像」
の情報をきちんとお伝えしていませんでしたので、前期展示終盤を前に
少しご案内をいたします。
まず、名前の漢字があれっ?と、思われた方もいらっしゃると思います。
一般的には「山本勘助」が浸透していますので、違和感を感じた方や
「菅助」=「勘助」と捉えてますが、同一人物なの?と思われる方も
なかにはいらっしゃったかもしれません。

その違和感こそが、今回の企画展の狙いでもありまして、
「勘助」から「菅助」へ、ということがテーマになっています。
まだ100%同一人物、と言い切れないところはありますが、
信玄公の懐刀で、軍師として語り継がれてきた「山本勘助」から
実際の史料で確認された「山本菅助」をご紹介する展示となっています。
武田の軍師「山本勘助」は、江戸時代に普及した「甲陽軍鑑」では
主に築城技術に優れた人物として登場し、時には戦の戦局を変える
献策するなどの描写がなされたことから、武田軍の軍師のような印象が
強まり、今では多くの方がそう信じていると思います。

しかしながら、それほど有名な武将で有ながら、「山本勘助」の活動を
証明する当時の史料は少し前まで確認されていなかったことから、
「甲陽軍鑑」の中の架空の人物、伝説の軍師と言った評価がなされてきました。
現在の前期展示では、まずは史料上で初めて「山本菅助」の名前が確認され、
「山本勘助」=「山本菅助」という架空の人物と実在の人物が結び付くことに
なった「市河家文書」の中の「武田晴信判物」を展示しています。
その史料は今から約50年前に発見されたもので、第三次川中島の戦いに
関連する貴重な戦局を伝える史料でもあります。
そして、「甲陽軍鑑」の記述を下に江戸時代に狩野派の絵師によって
描かれた想像上の「山本勘助画像」。
※武将印は、その絵を参考に描いた山本菅助
さらに甲府にあった居住地を示した「躑躅が崎館と城下絵図」を展示しています。
解説パネルでは、語り継がれた「勘助」から実在した「菅助」の活躍から
その実像に迫るパネル解説を行っています。
小規模な企画展ですが、来月から始まる後期展示と合わせて、山本菅助
にかかわる数少ない貴重な史料の多くをここで展示しますので、お見逃しなく。

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