甲州ならではの端午の節句人形「かなかんぶつ」、
ただいま、信玄ミュージアム内、旧堀田古城園でご覧いただいております。
でも、この「かなかんぶつ」、
単に男の子の成長を祝い願ったもの・・でもなさそうなんです。
端午の節句は、言わずと知れた「こどもの日」、国民の祝日です。
この節句行事だけでなく、数々の伝統行事が、それぞれの変遷をたどって今日に至っていますが・・・
「節句」は、古代中国より日本に取り入れられた暦です。
季節の節目を示す「節句」は、宮中で年中行事が行われる日となり、
その後、江戸幕府に引き継がれ、祝日と定められます。
さらに、その土地その土地で行われていた行事と習合して・・。
しかし、古代中国で、5月は本来、歴史的にも天災や戦乱の重なった「悪月」。
日本でも、このころは水害が起こりやすくなったり、ものが傷みやすくなったり、
体調も崩しやすい要注意(!)な時期と・・言えなくもありません。
「悪月」対策として、中国ではよもぎや菖蒲などで邪気を祓う習慣が生まれます。
よもぎは豊かな薬効のみならず、その独特な香りは害虫や雑菌予防にも。
菖蒲は、葉が刀に似ていることに加え、芳香もさわやかであるため、邪気を祓う花として考えられました。
日本では、鎌倉時代以降、菖蒲は男の子の体を守る兜や刀に見立てられ、
加えて、菖蒲は「尚武」(武の道を重んずる)と連想されて、
次第次第に、端午の節句は男の子の節句へと変化していったようです。
一方、日本において、5月は田植えが行われる大切な時。
古来より、田植えは神事であり、
若い女性が田の神さまを迎えるために身を禊め、農耕の神に豊穣を祈りました。
若い女性に限らず、田植えの前はお祓いをしたり、穢れを避けるべく、忌み籠りが行われ、
その時、幟(のぼり)や人形が、忌み籠り中の家の目印や、
または神さまを招いて宿らせる依り代として立てられたと言います。
「かなかんぶつ」は、こうした田の神さまの依り代に、当時流行の武者絵が取り入れられて、
端午の節句飾りに変化したものではないかと推測されています。
その形、人の代わりに罪穢れを受ける人形代(ひとかたしろ)のようにも、
幟のようにも・・・見えませんか!?
甲州では、かなりの流行をみせた「かなかんぶつ」。
しかし、明治の文明開化の流れの中、日本の民俗的な行事の簡素化や廃止が進み、
また、交通網が発達することで、都市の影響も日に日に大きくなったのでしょう。
山梨でも、節句飾りが外飾りから内飾りに変わり・・・、
甲州ならではのお飾りはいつしか姿を消してしまいます。
こちらを参考にさせていただきました!
山梨県立博物館企画展「消えた「おかぶと」」