信玄公も奉納した(!?)神楽@武田神社

2021-04-14 12:24:57 | イベント
信玄公のご命日、4月12日。
例年、この日は、武田二十四将騎馬行列が市内を巡り、とてもにぎやか。
残念ながら、引き続き今年も新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止になりましたが、
祭事だけは、神社の方で行われました。

武田菱、風林火山などの旗が掲げられた、武田神社拝殿。

境内にある能舞台「甲陽武能殿」では、午前中から1時半くらいまで、
笛吹市の山梨岡神社に伝わる、県指定無形民俗文化財の太々(だいだい)神楽が奉納されました。
伝承された神楽の多くが神話や、神社の縁起を題材としているとか。

写真は、「天鈿女命の舞」のもの。
舞手の多くは男性のようですが、こちらは女の子が舞いました。
アメノウズメと言えば、「古事記」や「日本書紀」の「岩戸隠れ」のお話に不可欠な登場人物。
弟の須佐之男命のあまりの乱暴ぶりに、天照大御神が天岩戸に隠れてしまい、世界が暗闇になってしまったとき、
さまざまな試みの末に、岩戸の前で踊り、神々を大喜びさせた女神。
その甲斐あって、「なにかしら?」と外の様子を覗いた天照大御神を引っ張り出して、
ついに世界に光が戻った・・・というお話で知られています。



最後に奉納された「四劔(しけん)の舞」
信玄公出陣の時、戦勝祈願の神楽として奉納されたという伝承が残ります。
4人の舞手が剣と鈴を手に舞います。
写真はないので😨、こちらでちらりとどうぞ😉 

太々神楽は、出雲系の神楽。
島根県の佐太(さだ)神社で、天下国家のご祈祷として神楽が舞われ、それが全国に広まったとか。
神事的舞と猿楽の影響を受けた神能で構成されます。

山梨岡神社も、もとをたどれば、
崇神天皇の時、国内に蔓延した疫病や災害を治めるために建立されたと言われています。

信玄公の時代も、そして今も、一筋縄ではいかない感染症の問題。
アマテラスが岩戸から出てきたように・・・とまで行かなくても💦
古来より伝承された神楽の思いが天に届いて、明るい兆し、そろそろ見たいですね。
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