寒い日に食べたくなる、ほうとう。
ほうとうって、「宝刀」?「放蕩」?
ごめんなさい💦面白いエピソードがあるわけではなく、
呼び名のルーツは、中国の「餺飥 」(はくたく)
=生地を薄くして、指で押す、という調理法を表す言葉にありました。
ほうとうは、お味噌やお醤油ベースの汁で煮込むことが多いとは思いますが、
ちょっと特別な日のための、あま~いほうとうもあるんです。
山梨であれば、お汁粉にほうとうを入れた感じの「小豆ぼうとう」。
北信の一部でも、冬至に食べるのは、カボチャ入り小豆ぼうとう 。
長野県安曇野の「七夕ほうとう」は、その名の通り、旧暦の七夕の時、
ほうとうにきなこや小豆で味付けしたものをいただくそうです。
現在でも、山梨県北杜市須玉町の三輪神社では、毎年7月、「若神子のほうとう祭」※が催され、
大きなわら人形に穢れを託し、害虫駆除と豊作を願った虫送りの火焚きが行われます。
そして、儀礼の食事は「小豆ぼうとう」です。
※記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択無形民俗文化財)となっています。
小豆ぼうとうの歴史は古く、平安貴族の日記や随筆などにも、
ほうとうを小豆の汁に入れて食べた、、などという記録が残されているようです。
最後に・・・
ほうとうを食べるためには、当然のことながら小麦を粉にする必要があります。
粉ひきの石臼の伝来は、日本書紀によると、推古天皇18年(610)のこと。
舶来の珍品として、その後、貴族の間でゆっくりと広まったようです。
ほうとうも、製粉する石臼の技術あってこそ。
石臼が急速に普及したのが、戦国時代。手にしたのは、武士や寺社、大商人。
ですので、信玄公が小麦粉の料理を召し上がった可能性はあります。
でも、残念ながら、ほうとうを陣中食「武田汁」と呼んだり、
信玄公、御自ら刀で具を刻んだという記録は、、まだ見つかっていないそうです😉
粉食文化が広がるとともに、喫茶文化も各地に広がります。
石臼にも種類があり、用途に応じて使い分けがなされますが、
葉茶をひいて抹茶にするための石臼が茶臼です。
室町時代から戦国時代にいたり、公家や僧侶だけではなく、武士や商人たちの
たしなみとなって大成されていく茶道には不可欠なお道具でした。
武田氏館跡からも、もちろん出土しております。
館跡の主郭から出土した茶臼(一部)
つづく・・・