【特別展展示替え】守随錘(しゅずいおもり)のご紹介!(2)

2020-10-07 13:57:23 | 紹介
 前回に引き続き、守随秤(しゅずいばかり)・守随錘(しゅずいおもり)のご紹介をしていきます!

守随秤のはじまり
 黒川金山や湯之奥金山など、甲斐国内には戦国時代から使われてきた金山が多くあり、武田氏もこれを積極的に利用していきました。ですが、取り扱う重さの基準がバラバラだったことから、武田氏は金の生産と管理のために、特定
の職人のみにはかりを作らせ、重さの基準を統一しようとしました。
 その中で、吉川守随(よしかわしゅずい)は、秤の製作を特別に許されたはかり職人の一人です。
 

▲現代の電子ばかり

 はかりは、ものの重さをはかる道具のこと。
この道具に基準がなく、それぞれで勝手に決めた重さでものが流通していたら、金の重さもそのはかりごとに違ったものになってしまうので管理が大変ですよね。
 基準の統一された精度の高いはかりが、甲斐国内でとれる金を正しく利用していくには必要不可欠でした。

 こちらが武田氏の城下町から出土した、銅製の分銅です。(平成4年の武田氏館跡第34次調査でみつかったものです)

 丸いフォルムがかわいらしい!!
▲銅製の分銅(戦国時代)

 ※これは守随家が製作したおもりかどうかは、はっきりとはわかりません。
ただ、このようなおもりは「さおばかり」と呼ばれるタイプのはかりで使われていたと思われます。

武田氏以降の守随秤
 精度の高い技術を持っていた守随家は武田氏滅亡後、徳川家康により取り立てられます。
 吉川守随から続く守随家は「秤座(はかりざ)」として特権を与えられ、守随秤は江戸幕府から東国33か国の共通の秤とされました。
秤の製造や販売、さらには修理までを任された、江戸幕府を支えた大事な役職です。

 こちらは江戸時代の守随秤の分銅です。

 さきほどのおもりと違って、きっちりと綺麗な六面が作り出されています。
江戸時代の技術の高さにびっくり!


▲守随錘(江戸時代)

以上が守随錘と守随秤のご紹介でした。
江戸時代の守随錘の方には刻印もありますので、ぜひ間近で見に来てくださいね!
ようやく開館が再開できた特別展示室!
スタッフ一同お待ちしております!


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蓄音機でレコードを🎶

2020-10-07 13:54:09 | イベント
信玄ミュージアム内で公開されている旧堀田古城園は、昭和初期に開業した料亭旅館🏠
平成26年度に甲府市にご寄付いただきましたが、
建物群に加えて、その歴史を記憶する物たちも、たくさん残されました。
その中のひとつが、1930年代製造のポータブルの蓄音機。
当ブログでも、何度かご紹介させていただきました🙇

よろしければ、こちらもご覧ください。



持ち運びのできる蓄音機🎶
料亭旅館の離れでも活躍したに違いありません。

その蓄音機、メンテナンスを経て、レコードを再生してみると・・・

電気を使っているわけではないのに。
その大音量は驚きです👀

蓄音機は、まさに音楽に耳を傾けるためのもの👂
蓄音機のレバーを回し、レコード盤に針を置いて、曲の始まりを待つ。
お酒を飲みながらBGM🎶という音楽の聴き方とはちょっと違うかもしれません。

また、プレイヤーによって音質が変わるのは蓄音機も同様。
蓄音機の場合、アームの先についたサウンドボックスが音の決め手。
レコードには音の波が溝に記録されておりますが、
サウンドボックスにつけられた針が溝をなぞり、
その振動がスピーカーの役割を果たすホーンを通して、レコードに記録された音を再現します。

蓄音機の「機」は「器」の方が雰囲気的にしっくりくる気がしますが、
その構造をちょっと見ると、楽器というより、それはやっぱり機械。
蓄音機の構造が生み出す音の良し悪しがある一方で、
聴く人の、使用するシチュエーションや、使い勝手、好みなどによって、蓄音機は選ばれてきたのでしょう。

旧堀田古城園には、さまざまなご縁があって、4台の蓄音機があります。
そのすべては難しくても、何台かの聞き比べも楽しくないですか。

信玄ミュージアムでは、秋の夜長のイベントとして、「蓄音機のゆうべ🎶」を開きます。
日時 10月9日(金)18時~19時半@旧堀田古城園
料亭旅館が賑わいをみせた1950年代前後の洋楽・邦楽をラインナップ。
ミュージアム閉館後の、宵の料亭で、蓄音機による音楽をご堪能ください。
皆さまのご参加、お待ち申し上げます。




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