信玄ミュージアムでは、武田信玄はじめとする、武田氏がかつて暮らした館跡をご紹介。
その歴史に加えて、館跡やその城下町から出土したものなど、発掘調査の成果も展示しています。
その歴史に加えて、館跡やその城下町から出土したものなど、発掘調査の成果も展示しています。
その中のひとつが、先日もご紹介した土人形。
これ、なんだと思いますか。
お人形、おもちゃ、安産祈願のお守り、亡くなった赤ちゃんの供養など、様々な説あり。
お人形、おもちゃ、安産祈願のお守り、亡くなった赤ちゃんの供養など、様々な説あり。
出土した場所は、武田氏館跡のすぐそば、「字三角」(あざさんかく)。
戦国時代、鍛冶工房が多数あった場所のようなのですが、
館のホントにすぐそばであったことから、
武田氏館に関係する何やら大切なお仕事を請け負っていた可能性も。
でも、この土人形に関してはよくわかっていないのが、ホントのところ。
戦国時代、鍛冶工房が多数あった場所のようなのですが、
館のホントにすぐそばであったことから、
武田氏館に関係する何やら大切なお仕事を請け負っていた可能性も。
でも、この土人形に関してはよくわかっていないのが、ホントのところ。
ちなみに、形は何に見えますか!?
人が有力。でも、猿に見えなくもない!?
信玄ミュージアムのある甲府北部は、甲府駅からそう遠くはないとはいえ、
それなりに自然豊かなところです。
ちょっと山の方に住めば、庭をお猿が通過(!)ということもあるそうで。
つまり、猿も、現在進行形で住んでいる土地(◎_◎;)でありまして。
ちょっと、ピンと来てしまいました💦
実際、古来より猿は馬を病から守る動物と考えられ、大名屋敷で、今で言う猿回しをする習慣もあったと言います。
武田氏館でも『勝山記』によると、大永6年(1526)に武田信虎が
猿楽を呼んだと記録されていますので、そうした意味も込めてでしょうか?
東北地方のように、馬や牛の健康や安産、火除けとして、猿に関わるものを厩に飾る風習を持つところも。
甲斐国もまた、古代より名馬の産地。
館からは、大切に埋葬された馬の全身骨格※も出土しています。
猿がどこまで関わるかは不明ですが、馬を大切にする伝統が育っていても
不思議はありません。
こちらが信玄ミュージアム、特別展示室の「馬骨」(レプリカ)
※戦国時代の馬で、全身骨格が出土しているのは、全国でもこちらだけ。
※ごめんなさい。只今、当館の特別展示室は閉鎖中。
ご覧いただくことができません。ご注意ください。
一方で、猿は比叡山・日枝神社の神さまのお使いでもあります。
御祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)と大物主神(または大国主神)。
こちらの2柱は、地主神として、比叡山・延暦寺の守護神✨でもいらっしゃいます。
御祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)と大物主神(または大国主神)。
こちらの2柱は、地主神として、比叡山・延暦寺の守護神✨でもいらっしゃいます。
そして、どういうご縁と思いがあったのでしょう。
信玄公が天台座主・曼殊院覚恕(1522ー1574)に寄進したのも「猿図」☟
信玄公による寄進状も残されています☟
武田氏と猿との関係・・・
皆さまだったら、どんな仮説を立てますか?