1 自然災害対応特別資金利子補給補助金
「平成25年7月26日から28日の大雨・洪水」により被害をうけた農家に対して、JAいわて南およびIAいわい東が融資する資金の利子補給を行います。
お問い合わせ 一関市役所農政課 ℡ 0191-21-8421
2 農地災害復旧費補助金
「7月12日から15日の豪雨」、「7月17日から19日の豪雨」、及び「平成25年7月26日から28日の大雨・洪水」により被災した農地のうち、国庫支援の対象にならないものについて、市が補助します。
対象経費
復旧工事費が13万円未満のもの
補助額
対象経費の1/2
お問い合わせ 一関市役所農地林務課 ℡ 0191-21-8434
【私道災害復旧工事補助金】
「平成25年7月26日から28日の大雨・洪水」により被災した私道(受益戸数2戸以上)に係る復旧工事に要した経費の一部を補助します。
対象経費
復旧工事費が20万円以上のもの
補助額
対象経費の1/4(限度額50万円)
お問い合わせ 一関市役所維持課 ℡ 0191-21-8521
【宅地災害復旧工事補助金】
「平成25年7月26日から28日の大雨・洪水」により被災した宅地に係る復旧工事に要した経費の一部を補助します。
対象経費
復旧工事費が20万円以上のもの
補助額
対象経費の1/2(限度額200万円)
お問い合わせ 一関市役所都市計画課 ℡ 0191-21-8541



白石豊後守時直の居館跡
国道284号線、一関市中心部と気仙沼市の中間点一関市千厩町、JR大船渡線千厩駅から千厩町奥玉方面へ向かう市道の途中に館跡を見ることができます。
県立千厩病院脇のグラウンド裏から大光寺にかけての一帯が居館跡となっています。
古館とも云われている中沢館は、葛西氏の家臣で千厩城城主の金野一族の居館だと云われています。
白石豊後守時直は、主家葛西氏の滅亡によって浪人となりましたが、翌年の天正十九(1591)年、豊臣秀吉の九戸政実征討の軍と、伊達政宗の釜石中妻城攻撃の軍に参加し、その功績によって千厩の肝煎職に任ぜらました。
このとき、居館をこの地に定めています。
その後、豊臣氏の金山開発事業政策にあたっては、金山奉行職を拝命し職務を遂行しています。
(出典 いわてのお寺さん)
【中沢館跡MAP】
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縄文時代後期~晩期の遺跡
国道284号線、宮城県気仙沼市との県境近い一関市室根町、JR大船渡線線路近くの市道からこの遺跡を標した標柱を見ることができます。
縄文時代後期~晩期の遺跡で、石鋸、石棒、石斧などと一緒に土器も多数出土しました。
遺構などはなく、標柱が建っているのみです。
この遺跡は、一関市の史跡となっています。
【方両遺跡MAP】
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金森氏の居館跡
県道48号線近く、一関市花泉町花泉字寺沢地区。
田園の中に突き出た丘陵の一部が城跡となっています。
金森城は高山館とも呼ばれ、中世、葛西氏の家臣としてこの地を治めた金森氏の居城でした。
もともとは、清水城主だった清水重兼が、子の信高に城を譲り永正十七年(1520)に金森城に移り住んだとされています。
金森氏は、天正十八年の豊臣秀吉による奥州仕置きによって、主家葛西氏ともに没落、翌年に金森内膳貞利は、宮城県桃生郡糠塚で討死を遂げました。
金森城(高山館)が構えていた城跡に金蔵寺があります。
当寺は、城の南に空堀と隣接して建てられ、境内の西には二の丸があった云われています。
現在はスギの木が茂り、サツキやツツジが咲き誇る丘となっています。
金蔵寺の開山については二つの説が伝わっています。
1つは、永正十七年(1520)金森城主金森重兼を開基とし、宝持院安叟和尚によって開山されたとする説。
もう1つは、天正六年(1578)、宝泉寺第二世盤喜周省大和尚によって開山されたとする説です。
金蔵寺の本堂脇に、金森氏の末裔が建立した供養塔と碑を見ることができます。
【金森城(高山館)跡MAP】
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