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もっこうさんです。

岩手県一関市藤沢町で工務店を営業している「菅原木工」が、住まいや地域の情報と、個人的趣味の情報をお届けします。

【一関市千厩町】 小梨城跡(洞雲寺)を散策してみました。

2015年03月16日 | 城郭・城柵

小梨氏の居城跡

【一関市千厩町】 小梨城跡 

国道456号線、一関市千厩町中心部から同市室根町方面へ通る市道近く、曹洞宗「洞雲寺」脇の小高い丘に城跡があります。

洞雲寺の駐車場脇に「小梨城跡」の書かれた標柱が建っていて、登り坂があります。

【一関市千厩町】 小梨城跡 

この城は中世、葛西氏の家臣小梨氏の居城跡です。

東西約250m、南北約300mの連郭式の居館跡です。

小梨を姓とする小梨氏は、宝暦十三(1763)年の書上げでは「小梨右馬允、天正年中居住」とありますが、
明和八(1771)書上げでも同様のことが書かれています。
安永四(1775)年「風土記御用書上」には小梨右馬之丞とあります。

【一関市千厩町】 小梨城跡 

坂を登ると、所々に平場があり、さらに登ると古いお墓を数基確認することができます。

小梨城跡から見た洞雲寺です。

洞雲寺の開山は明応三(1494)年と伝えますが、戦乱などによる度重なる火災によって、堂塔伽藍、古文書等を失い、由緒などの記録はほとんどのこっていません。

【一関市千厩町】 小梨城跡 

坂を登りきると巨石と広い平場があります。

 

【一関市千厩町】 小梨城跡 

平場には、朽ちかけた東屋があり、公園として整備されていた感じを受けます。

【一関市千厩町】 小梨城跡 

東屋の脇には「久方の 光のどけき 春の日にしづ心なく 花の散らむ」

紀友則(きのとものり)の句碑が建てられています。

          

【一関市千厩町】 小梨城跡 


本丸は北側にあり、尾根から切り離されていますが、畑の造成により旧形状は不明です。
東から南東にかけて小平場があります。最頂部の本丸はU字状に広がり中央部分は幅の狭い平場として段々になっています。

葛西氏滅亡後、小梨左馬丞吉常は伊達政宗に取り立てられ、葛西氏滅亡後に小梨に六十貫文、気仙郡有住に四十貫文が与えられたとされています。

 

(出典 千厩町史)

(画像2013年撮影 2015年3月更新)


【小梨城跡(洞雲寺)MAP】

https://maps.google.co.jp/maps?q=38.905144,141.371253&num=1&brcurrent=3,0x5f88c187fa2a20fb:0xe3e3610c6ec0fefa,0&t=m&z=17

 


 


【仙台市青葉区】 西館跡を散策してきました。

2014年05月21日 | 城郭・城柵


五郎八姫の仮御殿跡

【仙台市青葉区】 西館跡

【仙台市青葉区】 西館跡

仙台市西道路国道48号線愛子バイパス栗生団地交差点の南側、蕃山山裾の畑地に西館跡があります。


【仙台市青葉区】 西館跡

 

【仙台市青葉区】 西館跡

【仙台市青葉区】 西館跡

ここは、徳川家康の六男松平忠輝に嫁ぎ、忠輝改易後に離縁させられて仙台城二の丸西御殿に住んだ、伊達政宗の娘五郎八姫の仮御殿でした。

【仙台市青葉区】 西館跡

「安永風土記」によれば、当初は山岸修理の屋敷で、ついで1636(寛永13)年まで茂庭綱元の屋敷となり、その後、御殿として普請されたと云われています。

1986(昭和61)年の調査では、御殿敷地出入り口部分で通路を構築する2段の石垣が24mにわたって検出されています

【仙台市青葉区】 西館跡

西館跡地周囲に土塁らしきものが確認できます。

 

P4250031

P4250032

跡地北側には小さな祠があります。

跡地内には「クマ出没注意」の看板や、イノシシ捕獲用の罠がありますので、注意が必要です。

 


 

【西館MAP】 

https://goo.gl/maps/ejVpCxCBn7R2




【仙台市青葉区】 諏訪神社(御殿館跡)を散策してみました。

2014年05月19日 | 城郭・城柵


国分一宮

 

【仙台市】 諏訪神社 入口

国道48号線、仙台市青葉区錦が丘へ入る市道脇にある小高い丘に諏訪神社があります。

【仙台市】 諏訪神社 参道

 

 

 

【仙台市】 諏訪神社 鳥居

この神社は、延暦年間(782~806)にこの地に祀られた山神に始まり、1189(文治5)年の奥州合戦後、源頼朝が陸奥国留守職伊澤家影に社殿を建立させ、諏訪神社と改めたと伝えられています。

1457(康正3)年~1865(慶応元)年に至る12枚の棟札(県文化財)からは、室町時代には国分氏の崇敬を受け、国分氏の没落後は代々伊達氏の外護を受けたことがわかっています。

【仙台市】 諏訪神社 石段

【仙台市】 諏訪神社 長床

 

【仙台市】 諏訪神社 本殿

 

1663(寛文3)年に各郡から浄財を募って再建されるなど、国分荘33ヶ村の総鎮守としても崇敬を集めており、明治時代中ごろまで、その年の天候と豊凶を占う筒粥神事が行われていました。
現在の本殿(県文化財)は、1705(宝永2)年に完成したと推定されます。

【仙台市】 諏訪神社 本殿

 

【仙台市】 諏訪神社 本殿 妻側

【仙台市】 諏訪神社 本殿背面 枡組

【仙台市】 諏訪神社 本殿背面 杮葺 葺地

【仙台市】 諏訪神社 本殿妻側 虹梁

【仙台市】 諏訪神社 本殿妻側 太瓶束

【仙台市】 諏訪神社 本殿向拝

中宮・左宮・右宮にわかれ奥には3つの厨子が置かれています。

素木造、三間社流造、杮葺きで三間の向拝と浜床をつけ、拝殿をともなわない古い形式をしています。

【仙台市】 諏訪神社 祠

諏訪神社の後方、標高180メートルの独立した丘陵上に「御殿館跡」があります。

関山越えの旧最上街道沿いに面し、愛子・秋保邑の分岐点になっているところです。

野武士が立て籠もったとされる防御性の強い山城で、全域に土塁や間道・空堀がめくらせています。

(出典 宮城県の歴史散歩


【諏訪神社MAP】

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【気仙沼市】 月館城跡を散策してみました。

2014年04月22日 | 城郭・城柵

【気仙沼市】 月館城跡 登り口

国道284号線(気仙沼街道)から県道209号線を早稲瀬方面へ北上するとまもなく、「月館城跡登り口」看板が見えてきます。

松川川沿いにある小高い丘が城跡になっています。

 

 

月館城は中世の山城で、城主は赤岩城十一代城主熊谷直定の子、直政が文明十三(1481)に築城とも、建武年間に熊谷直延が居城していたなど諸説あります。

【気仙沼市】 月館城 登り口

月館城の登り口は、松川川を渡り、住宅の間にある細い山道を登っていきます。

【気仙沼市】 月館城 登り口

【気仙沼市】 月館城 登り口

城跡は堀で区画されています。

【気仙沼市】 月館城 平場

登っていくと所々に平場がありますが、日当たりに良いところは藪となって前に進むのが困難な状態になっています。

【気仙沼市】 月館城跡

登り口も途中から、笹や雑木のためはっきりとした道がわからなくなってきます。

【気仙沼市】 月館城跡 頂部

さらに崖を登っていくと、電信柱と標柱がある頂部へたどり着きました。

【気仙沼市】 月館城跡 頂部 石垣跡

頂部から西側に行くと一段下がった広い平場が現れます。

そこから頂部を見ると、当時のものかわかりませんが、石積みの跡が見受けられます。

【気仙沼市】 月館城 腰曲輪跡

熊谷氏は南北朝時代後半には葛西氏の家臣となっていましたが、赤岩城十二代城主直影が葛西氏に背任の疑いをかけられ殺害された合戦をきっかけに熊谷一族同士の内紛が続いていました。

その後、天正六(1578)年月館城四代城主熊谷掃部直澄が兵を起こし、熊谷氏の嫡流である赤岩城をしのぐ権力を握っていた長崎城の熊谷直良と松川で合戦におよびました。

激戦の末、直良は戦死し、四十年にも及ぶ内紛は終止符がうたれましたが、天正十八(1590)、豊臣秀吉による奥州仕置によって月館城は廃城となりました。

(説明板より)


【月館城跡MAP】

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【気仙沼市】 赤岩城跡(八幡神社)を散策してきました。

2014年04月19日 | 城郭・城柵


熊谷氏の居館跡

【気仙沼市】 赤岩城跡 登り口

【気仙沼市】 赤岩城跡 遠景 気仙沼市切通からみる

赤岩城は国道45号線松川トンネル入口の上の丘陵にあります。

登り口は、国道45号線松川I.Cを降り国道284号線との合流地点から川沿いを県道209号線を北上するか、国道284号線から県道209号線へ行くと途中に「赤岩城登り口」という標識を見ることができます。


【気仙沼市】 赤岩城跡 登り口

赤岩城は東西700m、南北500m、高さ87m 中世の山城です。

東側に八幡神社、北側には、段によって区画された枡形状の遺構があります。

 

 

登り口には「赤岩城、月館城、中館城 熊谷直宗公750年大遠忌法要」というのぼりが立っています。

【気仙沼市】 赤岩城跡 登り口

森林の伐採のためか登り口は、砂利で整備されています。

登り口途中に、平場らしきものを見ることができます。

 

【気仙沼市】 赤岩城跡 登り口

途中から「赤岩城参道」「今朝沼」という看板があり、細い山道になっています。

【気仙沼市】 赤岩城跡 登り口

 

【気仙沼市】 赤岩城跡 今朝沼

細い道を行くとすぐに曲輪らしき平場に水たまりがあり、「気仙沼発祥の地 今朝沼」という看板があります。

【気仙沼市】 赤岩城跡 今朝沼

この湧き水は、かつては枯れることがなかった云われています。

【気仙沼市】 赤岩城跡 今朝沼周辺平場跡

【気仙沼市】 赤岩城跡 曲輪跡

スギ林をぬけると日当たりのよい平場に着きます。

P4050085

平場から頂部まで参道がさらに続きます。

 

【気仙沼市】 赤岩城跡 本丸跡 八幡神社頂部には八幡神社がまつられています。

頂部の平場は東西約150m、南北約150mで、頂部の平場から南に延びる2つの尾根には小さな段上の曲輪が連続してるのを確認できます。

 

熊谷氏は桓武平氏北条直方の末裔で、熊谷直貞が武蔵国大里郡熊谷郷を所領としたところから「熊谷氏」が始まります。

熊谷直貞の子は一の谷の合戦で平敦盛を討った直実です。

文治五年(1189)、源頼朝は奥州合戦で平泉の藤原氏を滅ぼし、戦功のあった熊谷直実の子直家は気仙沼地方を賜りました。

直家の二男直宗は本吉・桃生郡の二郡を与えられ気仙沼に下向し、赤岩城を築城しました。

その後六代直政が葛西氏に臣従しましたが、豊臣秀吉による奥州仕置までの400年間支配していました。

(赤岩城 説明版より)


【赤岩城MAP】

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