金森氏の居館跡
県道48号線近く、一関市花泉町花泉字寺沢地区。
田園の中に突き出た丘陵の一部が城跡となっています。
金森城は高山館とも呼ばれ、中世、葛西氏の家臣としてこの地を治めた金森氏の居城でした。
もともとは、清水城主だった清水重兼が、子の信高に城を譲り永正十七年(1520)に金森城に移り住んだとされています。
金森氏は、天正十八年の豊臣秀吉による奥州仕置きによって、主家葛西氏ともに没落、翌年に金森内膳貞利は、宮城県桃生郡糠塚で討死を遂げました。
金森城(高山館)が構えていた城跡に金蔵寺があります。
当寺は、城の南に空堀と隣接して建てられ、境内の西には二の丸があった云われています。
現在はスギの木が茂り、サツキやツツジが咲き誇る丘となっています。
金蔵寺の開山については二つの説が伝わっています。
1つは、永正十七年(1520)金森城主金森重兼を開基とし、宝持院安叟和尚によって開山されたとする説。
もう1つは、天正六年(1578)、宝泉寺第二世盤喜周省大和尚によって開山されたとする説です。
金蔵寺の本堂脇に、金森氏の末裔が建立した供養塔と碑を見ることができます。
【金森城(高山館)跡MAP】
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