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岩手県一関市藤沢町で工務店を営業している「菅原木工」が、住まいや地域の情報と、個人的趣味の情報をお届けします。

【栗原市若柳町】 武鎗城跡を見てきました。

2013年02月06日 | 城郭・城柵

葛西氏家臣武鎗氏居城跡

 

武鎗城跡 【栗原市若柳町】

東北自動車道と東北新幹線が走る近く広大な田園風景を見下ろす丘に城跡があります。


武鎗城はこの地を治める武鎗氏の居城でした。

葛西氏の家臣である武鎗氏がこの城を築いたのは文治三年(1187)頃とされています。

東館・西館(安養寺裏山)に分かれ、東館は旧有賀小学校東北側に位置し、高さ50m、東西400m、南北150m、本丸は東西100m、南北80mの広大な城で三方を沢や谷あいで敵を防ぐ天然の要害になっていました。


武鑓典膳は「武鑓重信」「奈良坂叉三郎」「武鑓隼人助」などいろいろの名で呼ばれ、晩年は剃髪して「典歴入道」「厩入道」などの名で呼ばれていました。
この武士は、天文年間以来、葛西晴胤・親信・晴信と三代に仕えた葛西家随一の忠臣でした。
信義に熱く、筋を曲げない栗原郡が生んだ戦国期の英雄でした。

岩ヶ崎の富沢日向守が葛西氏に叛いた時も、同じ栗原地方の富沢氏に味方せず、敢然と立って葛西氏の防壁となったのです。
特に清水大門口(一関市)の戦いのときは、一人で富沢陣に斬りこみ、大きな手柄をたてたのです。
その後、「浜田争乱」や葛西家の最後をかけた「仕置き軍との戦い」などあらゆる騒乱に出兵し、葛西氏の盾として華々しく戦ったのです。


その後、天正十九年(1591)豊臣秀吉による奥州仕置きの軍勢と戦いますが敗れ、葛西氏は没落し、武鎗城主武鎗典膳も石巻市桃生町深谷須江山で伊達政宗の軍勢によって討死したと云われています。

現在は、耕作地や有賀配水池になって当時の面影はなく、標柱だけがここが城跡ということを標しています。


【武鎗城跡MAP】

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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人名辞典で武鑓姓を引くと武鑓重信に行き当たりま... (武鑓 正勝)
2013-08-08 04:07:43
人名辞典で武鑓姓を引くと武鑓重信に行き当たります。私は、岡山県倉敷市曽原というところが郷里(現在は広島に住んでおります)ですが、そこには武鑓姓が多くいます。ルーツ探しの一環で、10月に武鑓城址を訪ねたいと思っておりますが、公共交通機関で仙台からどのように行けばよろしいか教えていただけますか。また、御地に武鑓姓の人はいますでしょうか?もしいたら、お会いしたいと思っております。工務店のビジネスに関係ないことで恐縮ですが、ご教示いただければ幸甚です。よろしくお願い申し上げます。
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ブログをご覧いただき誠にありがとうございます。 (菅原 令)
2013-08-08 08:42:47
武鑓城跡の場所についてですが、栗原市若柳町武鑓町館というところにあります。
旧有賀小学校跡から、その周囲が城跡となっています。

公共機関では、仙台駅から東北本線石越駅もしくは油島駅(ともに無人駅)より車で15~20分くらいのところにあります。
油島駅からだと駅前の県道からバスが何本か走っていると思います。

高速道路では若柳金成I.Cから一関市花泉町方面へ5分ほどのところにあります。

若柳町武鑓においての武鑓姓の人については、聞いてはいませんでしたので、暇をみて確認してみたいと思います。



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菅原さん、早速情報有難うございました。 (武鑓 正勝)
2013-09-18 11:40:43
10月25日に城址を見に行くことにしました。奥州の武鑓(むやり)が備前では(タケヤリ)となっていることに探究心を刺激されます。栗原市文化財保護課の人に郷土史家を紹介していただき、当日、その方とも会う予定にしております。その方によると、宮城県には武鑓姓はないそうです。また、何か情報がありましたら、ご提供いただければ幸甚です。
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ご連絡ありがとうございます。 (菅原令)
2013-09-19 14:52:53
10月にいらっしゃるのですね。
そのころには、最高気温が20度前後となりますので、厚手のものを用意していらしてください。


先日書いたコメントに訂正があります。
JR東北本線油島駅から路線バスがあるかも?と書きましたが、ありませんでし。
石越駅からタクシーでいらしていただくのがよろしいかと思います。
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