葛西家家臣金沢氏の居城跡
岩手県一関市から宮城県登米市津山町までを結ぶ国道342号線(一関街道)の途中花泉町金沢地区。
あたご公園内には東屋があり、花泉町の眺望を見ることができます。
あたご公園内は、中世の時代「朝日舘」と呼ばれる城館跡として、一関市の史跡に指定されています。
朝日舘は金沢城、東雲城とも呼ばれ、東の内沢川の谷地と西の有馬川の平地によって挟まれた丘陵に築かれました。
「安永風土記」によると城主は藤原秀衡家臣金沢伊豆守、
「古城書上」には同名で葛西氏家臣と伝え、
「薄衣氏系図」には薄衣城主千葉上総介平清住純の子上総清胤が葛西氏より三百余町を賜り、代々金沢氏を称し、十代伊豆守信胤に至ると伝えられています。
金沢氏は、戦国時代末期の天正十八年(1590)、の豊臣秀吉の奥州仕置きによる主家葛西氏とともに没落していったとされています。
標高75mの愛宕山にある朝日舘跡は、愛宕神社が鎮座する山頂部の平場(40m×38m)、そこから南へ細長く延びる廓(23m×43m)とともに、これらを取り巻く腰郭が確認できます。
愛宕山の東方約150mの東端頂部にも平場があり、その東面は急峻な崖となっていて、南北面には腰郭、土塁が確認されています。
このため、愛宕神社を中心とした場所が詰め城で、東の丘陵上が居館跡だったと考えられています。
【朝日舘跡MAP】
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