小梨氏の居城跡
国道456号線、一関市千厩町中心部から同市室根町方面へ通る市道近く、曹洞宗「洞雲寺」脇の小高い丘に城跡があります。
洞雲寺の駐車場脇に「小梨城跡」の書かれた標柱が建っていて、登り坂があります。
この城は中世、葛西氏の家臣小梨氏の居城跡です。
東西約250m、南北約300mの連郭式の居館跡です。
小梨を姓とする小梨氏は、宝暦十三(1763)年の書上げでは「小梨右馬允、天正年中居住」とありますが、
明和八(1771)書上げでも同様のことが書かれています。
安永四(1775)年「風土記御用書上」には小梨右馬之丞とあります。
坂を登ると、所々に平場があり、さらに登ると古いお墓を数基確認することができます。
小梨城跡から見た洞雲寺です。
洞雲寺の開山は明応三(1494)年と伝えますが、戦乱などによる度重なる火災によって、堂塔伽藍、古文書等を失い、由緒などの記録はほとんどのこっていません。
坂を登りきると巨石と広い平場があります。
平場には、朽ちかけた東屋があり、公園として整備されていた感じを受けます。
東屋の脇には「久方の 光のどけき 春の日にしづ心なく 花の散らむ」
紀友則(きのとものり)の句碑が建てられています。
本丸は北側にあり、尾根から切り離されていますが、畑の造成により旧形状は不明です。
東から南東にかけて小平場があります。最頂部の本丸はU字状に広がり中央部分は幅の狭い平場として段々になっています。
葛西氏滅亡後、小梨左馬丞吉常は伊達政宗に取り立てられ、葛西氏滅亡後に小梨に六十貫文、気仙郡有住に四十貫文が与えられたとされています。
(出典 千厩町史)
(画像2013年撮影 2015年3月更新)
【小梨城跡(洞雲寺)MAP】