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もっこうさんです。

岩手県一関市藤沢町で工務店を営業している「菅原木工」が、住まいや地域の情報と、個人的趣味の情報をお届けします。

【一関市花泉町】 北館跡を見てきました。

2015年03月23日 | 岩手の城郭・城柵

中世 熊谷氏の居館跡

【一関市花泉町】 北館跡

一関市花泉町金沢地区、国道342号線(一関街道)と県道48号線を結ぶ市道沿いにこの標柱を見ることができます。

【一関市花泉町】 北館跡

永和二(1367)年、熊谷丹波守胤直から六代将隆までの居館跡です。

「熊谷家系譜」によると永享十一(1439)年六月、大崎氏との佐沼での合戦に出陣した熊谷直胤は、軍功によって葛西持信より「白鳥郷の蒼田一万二千苅」を拝領したと記されています。

 

(画像 2011年10月撮影)


 


【一関市千厩町】 小梨城跡(洞雲寺)を散策してみました。

2015年03月16日 | 城郭・城柵

小梨氏の居城跡

【一関市千厩町】 小梨城跡 

国道456号線、一関市千厩町中心部から同市室根町方面へ通る市道近く、曹洞宗「洞雲寺」脇の小高い丘に城跡があります。

洞雲寺の駐車場脇に「小梨城跡」の書かれた標柱が建っていて、登り坂があります。

【一関市千厩町】 小梨城跡 

この城は中世、葛西氏の家臣小梨氏の居城跡です。

東西約250m、南北約300mの連郭式の居館跡です。

小梨を姓とする小梨氏は、宝暦十三(1763)年の書上げでは「小梨右馬允、天正年中居住」とありますが、
明和八(1771)書上げでも同様のことが書かれています。
安永四(1775)年「風土記御用書上」には小梨右馬之丞とあります。

【一関市千厩町】 小梨城跡 

坂を登ると、所々に平場があり、さらに登ると古いお墓を数基確認することができます。

小梨城跡から見た洞雲寺です。

洞雲寺の開山は明応三(1494)年と伝えますが、戦乱などによる度重なる火災によって、堂塔伽藍、古文書等を失い、由緒などの記録はほとんどのこっていません。

【一関市千厩町】 小梨城跡 

坂を登りきると巨石と広い平場があります。

 

【一関市千厩町】 小梨城跡 

平場には、朽ちかけた東屋があり、公園として整備されていた感じを受けます。

【一関市千厩町】 小梨城跡 

東屋の脇には「久方の 光のどけき 春の日にしづ心なく 花の散らむ」

紀友則(きのとものり)の句碑が建てられています。

          

【一関市千厩町】 小梨城跡 


本丸は北側にあり、尾根から切り離されていますが、畑の造成により旧形状は不明です。
東から南東にかけて小平場があります。最頂部の本丸はU字状に広がり中央部分は幅の狭い平場として段々になっています。

葛西氏滅亡後、小梨左馬丞吉常は伊達政宗に取り立てられ、葛西氏滅亡後に小梨に六十貫文、気仙郡有住に四十貫文が与えられたとされています。

 

(出典 千厩町史)

(画像2013年撮影 2015年3月更新)


【小梨城跡(洞雲寺)MAP】

https://maps.google.co.jp/maps?q=38.905144,141.371253&num=1&brcurrent=3,0x5f88c187fa2a20fb:0xe3e3610c6ec0fefa,0&t=m&z=17